長浜にある八幡神社です。
石田郷に古くからあるとされる社。石田三成出生地から徒歩5分の場所にあり、石田氏も氏神として信仰していたといいます。
昭和16年、八幡神社境内の地中から、大量の破壊された五輪塔の残骸が見つかりました。その一部には永禄、天正といった戦国時代の年号、禅定門や霊位といった文字が彫られていたことから、戦国期の墓石であったことがわかりました。これらの残骸は石田三成と何らかの関係があり、関ヶ原の戦い後、家康の追及を恐れた地元の人々が破壊し八幡神社境内に埋めたものと推測されています。これらの残骸は別の場所に集められ供養されていましたが、昭和48年、地元顕彰会が中心になって浄財を集め、残骸が発掘された八幡神社の東側隣接地の土地が購入されて石田三成公及家臣供養塔が造られました。
本殿。
八幡神社本殿の裏手に供養塔があります。
石田三成公一族及家臣供養塔。
石田三成公辞世歌の歌碑。
「筑摩江や 蘆間に燈す かがり火と ともに消えゆく 我身なりけり」
唐戸はし。
ここから南西へ約300メートルの場所にあった朽木街道の小川に架けられていた石橋。実際には5,6世紀頃の石棺の蓋だそうです。

手水舎。
八幡神社;滋賀県長浜市石田町





