長浜にある実宰院です。
小谷山実宰院という曹洞宗の寺。
当初は鎌倉時代に実宰庵という僧によって創建された天台宗の寺であったといいます。戦国時代、2代小谷城主浅井久政の長女阿久姫は、幼い頃に出家して昌安見久尼となり、無住職となっていた実宰庵を再興して曹洞宗の寺に改めました。
寺伝によれば、天正元年(1573年)の織田軍侵攻による浅井氏滅亡の際、浅井長政は三人の娘(茶々・初・江)を小谷城から逃がし、異母姉である昌安見久尼に託したという伝承があります。昌安見久尼は大変巨漢であった人で、織田軍兵士たちが浅井の残党狩りにやってくると幼い三姉妹を法衣の袖に隠したという伝説もあるそうです。北ノ庄城落城後も、孤児となった三姉妹を一時期預かっていたという伝承があります。
本堂。
位牌によれば昌安見久尼は天正13年(1585年)、49歳で没しています。浅井氏出身の昌安見久尼が浅井三姉妹と深く関わっていたことは事実とみられ、本堂に安置される昌安見久尼像は浅井三姉妹の長女淀殿の寄進と伝えられるもの。慶長2年(1597年)、太閤豊臣秀吉は長束正家・増田長盛・浅野長政・前田玄以四奉行の連署で、実宰庵の管理を任されていたとみられる次女初の夫京極高次宛に、実宰庵の住職は現尼の望み通りにせよという連署判を発行、現存しています。実宰庵は秀吉から五十石を安堵され、徳川時代にもこの処置は続きました。現在は実宰庵から実宰院と寺名を改めています。
実宰院;滋賀県長浜市平塚町149