一乗谷にある朝倉氏遺跡平面復元地区です。
戦国時代には町屋や寺が建ち並んでいた場所。復元町並が立体的な展示を行っているのに対して、こちらは発掘調査に基づき井戸跡や家の堺を表現するにとどめた平面展示になっています。織田信長軍の侵攻により突然放火された一乗谷では当時の人々が生活していたままに遺跡や遺物が発掘されています。
町人たちが住んだ町屋には、各戸に井戸が備え付けられていました。城下は区画整理されて道路が通され、103年栄えた城下町に町屋が整然と並んでいました。
染物屋があったと推測されています。
西側の山麓には寺が建ち並んでいました。
一乗谷には全盛期40数ヶ所の寺が存在していたといいます。朝倉氏滅亡時、城下は放たれた火により灰塵と帰しましたが、寺の一部はその後越前に入った柴田勝家によって北ノ庄城下に移されました。
朝倉氏遺跡平面復元地区;福井市城戸ノ内



