福井にある中根雪江宅跡です。


古都の礎-中根雪江邸跡

 

福井藩主松平春嶽に仕えた幕末の福井藩士、中根雪江の邸跡。

福井城北側のかつての城下町にあり、現地に碑が建てられています。


古都の礎-中根雪江像

 

近くの神明公園にある中根雪江像。

中根雪江(1807~1877)は福井藩士。福井藩士中根衆諧の子。諱は師賢。雪江は号。江戸へ出て平田篤胤の門下となって国学を学びます。天保9年(1838年)、田安家から迎えられた養子の松平慶永(春嶽)が11歳で福井藩主となると御用掛を命じられ、教育に携わります。春嶽が成長すると、雪江は第一の近臣となり、春嶽の命により江戸や京を飛び回り、幕府や他藩と交渉。安政の大獄で主君春嶽が蟄居を命じられると雪江も蟄居を命じられます。その後、蟄居を解かれた春嶽のもとで再び活躍。新政府から春嶽が議定に任じられた際には雪江も参与に任じられ、新政府に参加。春嶽の意図する徳川政権温存活動をしたため新政府から嫌疑をかけられ、翌明治元年に新政府の役職を辞任。以後、隠居して福井に住み、明治10年、71歳で没しました。幕末の日本を幕府側から丹念に記録した「昨夢紀事」の著書があります。

 

 

 

中江雪江宅跡;福井市宝永4-3-28