福井にある西光寺です。


古都の礎-西光寺
 

光明山乗律院西光寺という天台宗の寺。

長享2年(1488年)、天台宗の高僧であった真盛が、越前の戦国大名朝倉貞景に招かれて越前に来ます。翌延徳元年(1489年)、この寺は真盛によって朝倉氏の城下町一乗谷に近い山麓の次郎丸に創建されました。

朝倉氏滅亡後、柴田勝家が北ノ庄城を築城した際、勝家は朝倉氏の城下町一乗谷から寺や商人を北ノ庄城下に呼び集めます。その際、西光寺も北ノ庄城南西の現在地に移され、柴田勝家が信仰したと伝えられます。


古都の礎-西光寺
 

本堂。


古都の礎-西光寺
 

柴田勝家墓。

慶長年間、戦国武将の山中長俊が寄進したもの。

山中長俊(1547~1607)は近江国に生まれ、近江国守護六角氏に仕えましたが、やがて近江に進行した織田信長のもと信長の重臣柴田勝家に仕えて家老となります。柴田勝家が北ノ庄城で自刃したのちも生き延び、続いて北ノ庄に入った丹羽長秀に仕えたのち、豊臣秀吉に召し出されてその右筆を勤めました。長俊が非業の死を遂げたかつての主君勝家のために墓を作り、西光寺に寄進したものと言われます。


古都の礎-西光寺

 

墓は3つの石塔からなっています。

それぞれ、柴田勝家(越前北ノ庄城主)、市(勝家正室)、柴田勝豊(勝家の甥で養子。越前丸岡城主を勤めた後、長浜城の管理を任される。勝家の養子であった柴田勝政に対する勝家の厚遇に疑いを持ち、羽柴秀吉に寝返った。賤ヶ岳の戦いの直前に病死)の3人のものとされます。

 

 

 

西光寺;福井市左内町8-21