アラフィフ人生猫リセット -3ページ目

アラフィフ人生猫リセット

アメリカ人モラハラ夫と離婚して、人生やり直し始めたところです。

インフレが止まらない。

 

ウクライナ侵攻の影響でガソリンの値段が跳ね上がった。

 

顕著に値上がりしているのが食料品。いつも買う牛乳もジワジワと値段を上げてくる。

 

ここ数週間で急に値上がりしたのが鶏卵。なんと鳥インフルエンザの影響だと言う。

 

 

我が家では鶏卵の消費量がかなり多い。子どもたちが卵好きなのだ。

朝食に「スクランブルエッグ、卵何個?」と息子に聞くと「3個」と答える。

当然のようにサクッと食べる。

 

長女は目玉焼き派で、お昼ごはんに自分でハムエッグを作ることが多い。このときの卵の数は2個。

 

私は主にお菓子作りで卵を大量消費する。

シュークリームを作ると、カスタードに卵黄3個、シュー皮に全卵3個。

プリンを作ると、卵黄2個に全卵2個。

 

冷蔵庫の卵が1ダースを切ると不安になる。

 

ウクライナやイエメンの人たちのことを思うと、鶏卵価格の高騰ぐらいで嘆いていてはいけない気もするが、この物価上昇はいつまで続くのだろうと不安になる。

 

家の賃貸契約も家賃$200アップでの更新になった。これも痛いがだいたい相場な金額なので、すぐに合意した。

 

老後は日本に行こうと真剣に考える今日この頃だ。

 

 

WBSのトレンドたまごで紙の急須と茶の葉という商品が紹介されていた。

 

ぶっちゃけ、何がいいのか全然分からないが、急須で入れるお茶の良さとか何とか謳っていても、結局は奇をてらったギフト狙いなんだろうなと思った。ギフトをもらうとしても私なら数種類のお茶を飲み比べできるティーバッグの詰め合わせの方がありがたい。普段から日本茶も含めていろいろなティーバッグでお茶を飲んでいる。

リーフティーの場合はティープレスを使う。日本茶でもティープレスだ。いわゆる丸い形の急須は持っていない。

 

スタジオでのコメントも「熱くならないんですか?」とか「カラーバリエーションがあるといいですね」とか、とりあえず何か言わなければ的な無難なものばかり。

 

ターゲットとなるペルソナが想像し難いのだ。

 

恐らく、この商品を自分用に買う人はまずいない。紙の急須に300ml分の茶葉で1000円以上する。いちいち紙の急須を組み立てるのは面倒だし、値段的にも不経済だ。普通の急須を買って、いい茶葉を別に買う方が、どう考えても当然の選択肢だ。そもそも、お茶に興味があったり、こだわりのある人は急須を持っている。

 

もらう方はどうだろう。急須を持っていない人の家にお湯を沸かすポットがあるだろうか。きっと、持っていないケースの方が多い。その場合、もらった人は鍋でお湯を沸かす、もしくは若かりし頃の私のようにマグカップに水を入れて電子レンジで沸かすなどの手法が考えられる。もしそうなら・・・そのままティーバッグを入れたい。

そこから組み立てた紙の急須にこぼさないようにマグカップからお湯を注ぐのは結構難しい。この一連の作業で淹れたお茶が心を豊かにしてくれるかどうかも疑わしい。

もし若かりし頃の、急須も湯沸かし器具も持たない私がこれをもらったら、面倒くさくて放置する。そして、消費期限が切れて捨てる。

もし、今の湯沸かしケトルもあり、ティープレスもある私がこれをもらったら、茶葉だけありがたく利用し、美味しいお茶を淹れる。紙の急須は・・・どうしよう。一瞬だけ子どものおもちゃになるかもしれない。

 


 

幼い頃、ちょっとした事情で私は母方の祖父母の家にしばらく預けられていたことがある。2〜3歳の頃だ。祖父はまだ現役で仕事をしていたので毎日出勤していたが、祖母はすでに引退していて、近所の茶飲み友だちと午後を過ごすのが日課だった。

近所のおばさんたちが3〜4人集まって、お菓子やお漬物を食べながら、お茶を飲み、他愛のないお喋りをする。私も祖母に連れられて行っては、一緒に煎茶や玄米茶を飲んで、沢庵を齧っていた。

その後も夏休みは毎年1ヶ月ほど両親から離れて祖父母の家で過ごし、中学生になる頃まではこのお茶会にも参加していた。

 

今思うと、その頃、まだ若かった両親に体よく家から追い出され、彼らは夫婦水入らずの時間を満喫していたのだろうと思うが、私にもいい思い出しかないので、いい子供時代を過ごさせてもらったと感謝するばかりだ。

 

私の母は専らコーヒー派で、午後に友だちとお喋りをするなら、そこにあるのはブラックコーヒーだった。日本茶は食後に飲むことが多かった。その影響で私も高校生ぐらいからブラックコーヒーを飲むようになり、その習慣はいまだに続いている。親の影響というのは意外と大きい。

 

学校から帰って夕方の時間で家にいないとき、母は大抵、お向かいのおばさんのところでコーヒーを飲んでいた。母は自宅で保険の代理店をやっていたので、昼間は集金などで出かけることが多かったが、時間が空くと息抜きにお向かいに行くのだ。そういうとき、私も『しめた!』とばかりに便乗し、コーヒーとお菓子にありついていた。お向かいのおばさんの淹れるコーヒーは美味しかった。

 

母にはもう一箇所、コーヒースポットがあった。そこは私の幼馴染の家でもあったので、私も幼い頃はよく遊びに行っていたが、コーヒーを飲む歳になると学校や外で一緒に過ごすことが増えて、家を訪れることは稀になった。

幼馴染のお母さん(私の母にとっては友人)はサイフォンでコーヒーを淹れていた。サイフォンというのは、とにかくプレゼン力が圧倒的に強い。時折ご馳走になったコーヒーはいつも特別ですっきりした味わいだった。

 


 

大学に進学して一人暮らしをするようになってから、家でコーヒーを飲むことはなくなった。自炊もほとんどしなくなって、冷蔵庫には水とビールとヨーグルトしか入っていなかった。

プチ贅沢で、1限が入っていないときは、大学の近所の喫茶店でモーニングを食べていた。あとはドトール。

就職後もこの習慣はあまり変わらなかった。相変わらず自炊はしないし、コーヒーの需要は喫茶店とドトールで満たしていた。タバコを吸うようになっていたので、喫茶店に入る頻度は以前より上がっていたかもしれない。

 

そんなとき飛び込んできたのが、「スターバックスとか言う、アメリカのコーヒーチェーンが上陸したんだって!」というニュース。「これはぜひ試してみなければ!」と、当時の職場があった日比谷から銀座松屋通りまで昼休みに歩いて行った。

 

たかだかコーヒーショップに長い行列ができていて、それだけで挫折しそうになったが、同僚も一緒だったのでそのまま並んだ。入り口に「コーヒーの香りを楽しんでいただくため禁煙です」みたいな注意書きがあり、再度、挫折しそうになった。当時、コーヒーとタバコはセットのようなもので、タバコの吸えない喫茶店は存在しなかった。無論、分煙などもない時代だった。喫茶店は煙でモクモクしているのが当たり前だったのだ。

 

『でも、ここまで来たのだから仕方ない。このまま並ぼう。この暑い中、私は何をやっているんだろう。』

 

ようやく順番がまわってきて、私はエスプレッソをダブルで頼んだ。エスプレッソの店だと聞いていたからだ。いつもブレンドしか頼まない私にとって、「ダブルトールラテ」なんて異次元の飲み物だ。(当時はイタメシ全盛期だったので、エスプレッソには多少馴染みがあった。)

 

小さい紙コップでエスプレッソを手渡されたとき、私は「もう、ここには絶対来ないだろう」と思った。

 

だって

  • 香りを楽しむとか言ってるのに紙コップ(タバコ吸えない)
  • ドトールは半額以下の1杯150円でちゃんと陶器のカップで出してくれる。(タバコも吸える!)
  • とにかく、たかがコーヒーのために並ぶのはもう嫌だ

 

その10年後、私はすっかりスタバ中毒になっていた。

タバコはやめていたし、アメリカに来てドトールもなくなった。自宅でドリップコーヒーを淹れるようにはなったが、『グランデ・ディカフェ・ソイラテ・バニラフレーバー』はスタバで買った方がおいしい。紙コップにも違和感を覚えなくなった。

人間ってそんなものだ。

 

今の私には紙の急須でお茶を淹れる需要が全く理解できないが、もしかしたら10年後ぐらいにはそれが当たり前になっているかもしれない。(多分、そうはならないだろうとやっぱり思っているが)

 

先週、最終判決に裁判官の署名がついて離婚が完了した。離婚そのものは去年の10月の最終ヒアリングの際に認められ、成立していたのだが、細々とした内容をすべて定める離婚最終判決(Final Decree of Divorce) への署名まで、実に半年以上かかったわけだ。

 

通常であればこれほど時間がかかることはさすがにないらしい。理由はいくつかある:

  1. 元夫が最終ヒアリング後も様々なことでゴネた。(結局、彼の言い分はすべて却下された)
  2. 年末年始を挟んで、裁判所側の手落ちがあり、対応が遅れた
  3. 弁護士のフォローアップがイケてなかった
  4. 元夫はゴネるくせに、いちいち回答や署名が遅く、1つのステップに数週間かかることもあった
別居から1年7ヶ月、アメリカの離婚は日本のそれよりも遥かに面倒で費用もかかるが、その中でもうちのケースはかなりこじれたケースで、弁護士費用も数千万円単位でかかった。このお金を子どもたちの教育費などに充てられたらどんなにいいかと何度も考えたが、ここで引き下がったらもっと多くのお金を元夫に浪費されるだけなので、泥沼の戦いを続けざるを得なかった。
 

 
昨日、車を運転しながら、夏休みの準備のことを考えた。来月、子どもたちを連れてフロリダへ行く。
 
ホテルは数週間前に予約したのだが、先週末にフライトを購入して、レンタカーの予約も済ませた。これで準備万端だ。結構な費用になるが、ありがたいことにタックスリターンで払い戻された税金が思っていたより多くて金欠にはならなくて済みそうだ。
 
ふと、自分がとてもウキウキしてこんなことを思い巡らせていることに気づいた。こんな風に全部自分で決めて、自分でアレンジするなんていつぶりだろう・・・多分、初めてだ。私は自分で稼いだお金を(勝手に持っていかれることなく)自分の意思で使う。フライトはかなり高かったが、臨時収入もあり、これがいつの間にかなくなる心配もない。
 
私はフリーウェイを走りながら一人で車の中で叫んだ。
「FREEDOM!!!」
自由を得て、私がこれまでどれほど不自由を強いられていたかを再確認した。
 
"共通の財布"の名のもとに夫はお金を使い放題だった。仕事をしている頃はそれでも何とか成立したが、失業してからもその行動は変わらず、都合よく"2人のお金"という定義だった。私がどんなに節約しようとしても、口座にお金があると彼がどんどん使ってしまうので、私は旅行の計画など立てられるはずもなかった。
 
結婚しているときに私が大きな旅行の計画を立てなかったのにはお金以外の理由もある。
 
2003年の夏、長女を連れてロンドンに行った。その時のホテルを予約したのが私だったのだが、元夫は気に入らず、結局、到着後に他のホテルを取り直した。確かにものすごくいいホテルになったが、料金もとんでもなく高かった。
 
「お前は自分からバケーションの計画を立てない、いつも人任せだ。」と元夫はよく言ったが、私が計画を立てると必ず文句を言われるので、私は彼に任せるようになったのだ。彼は旅行の計画を立てるが、いつも決めるのがギリギリで私の出張と被ってもお構いなし、料金は繁忙期の正規料金でいつも馬鹿高い。
 

ウキウキ気分が止まらず、8月のお出かけプランも考え始めてしまった。
これまでバケーションは元夫の好み100%で決まっていたが、今年の夏は私の趣味を子どもたちに押し付けることにした。つまり、泊りがけで動物園と美術館に行くのだ。
ウキウキが止まらない。