朝のラジオ体操を日課にして

いつも元気な姿を見せていたおばちゃん

本当に毎日元気だった。

そんなおばちゃん

ラジオ体操をしていて

息がくるしいからと、

病院に行って診てもらうって言って

そのまま入院になった。

特に病気でもなく、高齢だからと

一応入院したんだけど

あっという間に息を引き取った。

大往生。

完璧だった。

誰にも弱っていく姿を見せず

家の中も全部片付けてあった。

必要なものは分かりやすく

すぐに使うものは目立つところに。

残された者が困らないように

全部整えてあった。

凄いって思った。

生き抜いたって本当に思えるような

最期だと思った。

できるなら、私もこうでありたい。

そう思う。

コロナ禍で限られた人だけの

濃厚なお葬式だった。

私は参列できなかったけど

コロナが落ち着いた頃を

見計らってお花と大好きなモンブランを

持って行った。

戒名まで生前から準備していたなんて

本当にすげぇよ。おばちゃん。

おじいちゃんに逢えてるといいな。


鬱を発症してから、ADHD確定して
PTSD等色々仲間が増えて
もう何年だろう。
良くなってきてたらいいけど
そううまくいかない。
だけど、少しだけ
ここ数年に起きた事
ここに記録として
置いておこうと
50日過ぎた今、思った。
ゆっくり
時系列おかしくなっても
一回記録しとかないと
ダメそうだから
やってみる。

大好きなおじいちゃん

何をするにもライバル。

そしてそれが許されていた私。

ケンカした。仲直りした。

離れているけど何かあれば

元気でいるかと心配し合ってた。

お正月に行った時

一緒にごはん食べて

背中に薬を塗ってあげたり

お薬飲むお水を決まったコップで

運んだり。

それは私が小さい頃からしていた

当たり前のこと。

私とじぃのルーティンみたいなもん。

それから2週間しないで

じぃが入院した。

真冬だけど、夜中に車で高速とばして

病院に行った。

酸素マスクつけて点滴して

右の足の指が壊死していた。

あと何日かな。。って周りの人は言ってた。

痛い苦しい。そう言ってたりしたみたい。

私が声をかけると生き返る。

お父さんがなかなかじぃの状態を

受け止められず

私が帰ってからもお父さんが毎日オンラインで

病室からじぃと話をさせた。

やっぱり私が声をかけると返事する。

じぃー??おはよー!

今日は何日だよー!起きてる?

そう声をかけると

おーーけぇだがー。

ぉぎでるぞー!

声がかえってくる。

お父さんは退院できると信じてる。

複雑だった。

何十年も働き通しで身体が

壊れて足に金属入れてまで

頑張っていた。

もう頑張れって言えない。

だから、

もう大丈夫だぞー!

何も怖くないぞー!

苦しくないぞ。

足も前よりも丈夫になって

競争したら一等賞になるぞ!

そう言ってあげた。

じぃは

だいじょぶだぁ。

そう言ってくれたんだ。

そして2月にじぃは天寿を全うした。

喪主のお父さんは泣いてメソメソしてたけど

最後まで私はいっぱい会話できたから

心残りはない。

じぃが買ってくれた車が限界を超えて

新しい車にした時も、無理矢理連れ出して

綺麗な景色を見に行って珍しいアイスを2人で食べて写真撮って遊んだ。

やれる時にやりたい事は

一通りやってきたと思ってる。

だから、亡くなったけど

さみしいけど後悔はないし

心の中にはいつも居てくれる。

看取るとか、そういうのって

難しいと思う。

って、コロナの話題が出始めて

大きな船🚢が話題になっていた頃のお話。