真逆の世界 | 親の心が動くと子供の心が動く

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寄り添う親と子の自分育てサポーター・みーこ

 

  我が家の不登校改善の目指す先は、

 

 ≪自立・自分の足で自分の人生を歩いていくこと≫です。

 

 

 ≪自立≫の前に家庭が安心基地である事が大切だと

 長男の不登校から私は経験しました。
 
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 子供のココロに安心・安全・自己受容のエネルギー

 がたまっていくと外の世界に出てみようかなの

 勇気・想いが出てくるように感じています。
  

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自分の感じ方や自分の意見と

親の感じ方や意見と違うのが恐い

(加藤諦三著 「モラスハラスメントの心理構造」より)

 

 

 

 

 

長男が

「この紙パックの緑茶変な味がする

違う飲み物ない?」と私に話しかけてきた。

 

 

この時の私の脳内セルフトークは

お茶が変な味ってどういうこと?

長男がそう感じたのだからそうなんだろう、

と長男の味覚と私の味覚は違って当たり前

だよね~、があり、

 

 

「変な味に感じたんだ、そっかー。

レモンティーがあるけどどうする?」

と長男に私は返答した。

 

 

「お母さんも飲んでみて、変な味がするから。」

 

 

自分の味覚を誰かに確認してほしかったのかな、

どんな味なんだろう?

私はおそるおそる紙パックの緑茶を飲んだ。

 

 

んーーー、

「変な味を探すなら出がらしっぽい味がするかな」

 

 

再び緑茶を飲んだ長男は、

「わかった!俺はこの香りがダメなんだ、

レモンティーちょうだい」と言い

スッキリした様子で自分の部屋に戻っていった。

 

 

 

 

この後自分の子供時代に置き換えて考えて

出てきた言葉は、、、

 

 

◆出されたものに文句を言うな

◆買ってきたものに文句を言うな

◆文句を言わず黙って飲め、食べろ

◆好き嫌いするな

 

 

両親ともにこうだった。

 

 

私が小学生の時

「この肉じゃがの肉がゴムみたいでまずい」

なんて言った日には

 

 

きょうだいの前で見せしめのように

父親からげんこつと共に怒鳴られ

母は助け船をだしてくれず

 

 

私は恐いやら悔しいやら

こっちも怒りたいやら

自分だけ怒られる恥ずかしさや

助けてくれる人はいないんだという絶望感やら

ごちゃまぜで泣くのをこらえながら

ゴムみたいなまずい肉を麦茶で流し込んだ。

 

 

私が中学生になるまでこんな感じの

夕飯時間で私には恐怖の時間だった。

 

 

この子供時代の経験から

 

 

自分の感じ方や自分の意見と

親の感じ方や意見と違うのが恐い

 

 

が私の中で強固な思い込みになって

いったのかもしれないなぁ、、、

 

 

 

 

 

自分の感じ方や自分の意見と

子供の感じ方や意見と違うのが恐い

 

 

もしかしたら私が親になった時は

こちらに変わったのかもしれない。

 

 

子供が

「このカレー辛い」と言えば

「えーどこが辛いのよ」と返す始末。

 

 

ホントに気づかずに親と同じことを

していた私。

 

 

中学生以降に長男が

「おれが何を言ってもきいてくれない」

だから言わない、、、

となったのも当然で返す言葉はありませんタラー

 

 

そんな私が変わる事が出来たキッカケは

息子の不登校から「自分」に対して

目を向けるようになったこと。

 

 

その中で

「人は違って当たり前」という

概念を知った。

 

 

以前とは真逆の世界!!

 

 

そりゃ慣れないから

時に失敗しながらもコツコツと

その意識で関わり方の練習をしてきたからか

 

 

長男が自分の感じ方や意見を言えるのが

ようやくようやく当たり前になり、

 

 

それを親が受け取る事ができるようになってきた、

これって私が子供のころからずーっとほしかった

心が触れ合う幸せな一場面かもクローバー

 

 

 

 

 

 

リボン最後まで読んでいたただき

ありがとうございますウインク