こんにちは、春希です。
昨日、今日はそこそこの天気ですね。
曇ってるけど空が明るいみたいな(*^▽^*)
割と過ごしやすいですね。
さて、11年前に亡くなった父の介護状況を何回か
書いてきましたが、今回が最後になります。
家の内部事情も結構書きましたが、これは何か
他の方で同じ状況の方がおられたらということで
情報共有ということで書きました。
高尾山 薬王寺です。
さて、在宅介護で大変というか、可哀想だったの
は父は口から食事をとれなかったので、胃ろうと
いってお腹にハイプのようなものを通してそこから
流動食や、薬などを注入していました。
病院とかでしたらほぼ個室だったので、他の方の
食事状態がわからなかったですが、家だと私と
母は普通に食事をしているので、父の前で食べ
なくても香りや、食事の状況は伝わります。
認知的な状態は全然なかったので、これはかなり
辛かったかと。結構好きで見ていたテレビ番組も
日本はテレビでも、CMでも食事シーンが多いから
観たくないと言って見なくなりました。
それにやはり、口から物を食べないと筋力も落ち
栄養状態も悪いのでどんどん痩せていくんです。
そしたら体の状態も悪くなり、少しの事で肺炎に
なり、再入院。これを何度か繰り返しました。
退院しても、誤嚥があるのでどんなにせがまれて
も口から飲ませるのはご法度で断るのもつらい
思いでした。
今から、考えればリハビリ頑張って、嚥下機能回復
して元の生活に戻ってほしいと思っていましたがあ
れだけ、入退院して食事も出来なくなり、胃ろうまで
したら、体力も気力も年齢的に無理なんですよね。
父が最後に、病院やリハビリ以外に外に出たのは
私がいつも大変だから、何か手伝える事は無いか
と思って、ヘルパーさんに車を押してもらって近くの
スーパーまで日用品を買いに行ってくれた事です。
自分が辛い状況であろうと少しでも誰かの事を助
けるという思いは大事だと教えてもらいました。
それからも入退院が続き、体力的にも落ちて私も
ケアが難しくなったので、長期療養のセンターに
入所させました。
見学行ったところでは、まともな所だったのですが
家から二時間近くかかり、会社帰りによるのは到底
無理なと所で、母は当然一人で行く気はなく、寂しい
思いさせました。病院的にも急性期病院ではない
ので色々と問題はありました。
入院してひと月足らずで、仕事中に電話がかかり
脳内出血を起こして、助からないと思うのでと聞き
急遽、家近くの入院していた急性期病院に運んで
もらいました。
そちらでも意識は戻らずに夜中の1時25分に亡くな
りました。
お医者さんを悪くは言わないですが、血栓を防ぐ
為に血をサラサラにする薬を飲んでいたのですが
これは頭蓋内出血を起こすリスクがあるので原因
はそれかもしれません。もちろん、そんなリスクは
向こうからは話さなかったですが・・・・
悲しんでいる暇というか、感覚がマヒしていて、い
たのですが、葬儀の準備などにすぐとりかからな
くてはならずに、あまり考えたくないのに葬儀屋さ
んとお金のやり取りなどがあり、喪主ってこんな
感じなんだなと実感しました。
亡くなった父の状態は納棺士さんが驚くくらいに
きれいな状態で顔の方は殆ど手をつけずに、胃ろう
などをしていたお腹の状態をきれいにして頂きました。
密葬にしたので親族以外は呼ばなかったのですが
上司二人が来てくれました。
父がもう亡くなったんだなと実感したのは火葬場で
最後に顔をみた時で、相変わらず寝ているような
顔だったのでその時だけは、火葬してほしくないと
強く思いました。
父が亡くなる前にしてあげた事で、印象に残って
いるのは亡くなった年のお正月は家にいたのです
が、私がお正月のお雑煮とかを作ってお仏壇に
あげまして、本当はだめなのですが父に、さじで
二杯くらい飲ましてあげました。とても、喜んでくれ
ました。父は料理していたのでお正月のお雑煮と
かは父が作ってくれていました。和食の味付けは
今でも父には勝てません。
父に関しては、今でも後悔している事はたくさんあ
ります。
もっと、違う病院にした方が良かったんじゃないか
とか、最後まで在宅にしてあげた方がよかったん
じゃないかとか、しんどくても、遠い病院まで会社
帰りによった方がよかったんじゃないかとか・・・・。
父の前で母親とすごい喧嘩したとか・・・・。
いろいろな方が頑張ったと励ましてくれますが、
自分自身正直まだ納得できず、自分自身を許せ
ない事が多いです。
でも、残った私がグヂグチ言ったりしたら成仏でき
なかったらいけないので前向きにとらえて、あんな
いい人だったから、天国でも上の方で痛くも苦しく
もなくすごしているだろうなと思います。
お読み頂きありがとうございました。
春希