こんばんは、春希です。
今日は父の祥月命日です。夜中の1時20分
に亡くなりました。
2010年に亡くなったから12回忌かな。来年
13回忌です。早いなあ~(/_;)
父は70歳なるまで殆ど病気などせず、母の方が
癌になったりでなんやかんやで病気がちでした。
心不全で入院しまして、調べたら心臓より肺に
問題がありアスペストによるじん肺で胸膜が
厚くなり、肺の3/4まで水が溜まっていました。
最初は普通と変わらない生活していたのです
が誤嚥してから、状態が悪くなって人工呼吸器
を挿入して、中々離脱できず結局気管切開まで
しました。
人工呼吸器は何とか離脱できたのですが、痰が
多く、誤嚥の可能性が多いから気管を塞ぐことが
できず、つまり、口からは食べられない、声もだせ
無い状態になりました。
文句言わない人でしたがかなり辛かったと思います。
母が、一人でいるのが嫌みたいで毎日身の回りの
世話とかで行ってくれてたのですが、ずっと頼りにして
いた父が倒れたというのがショックなのか、枕元で
父は喋れないのにずっと愚痴を言ってたらしく、
「うるさくていや」と言ってました。精神的ストレスかけ
るなよと家で母とよくケンカしました。
父は、穏やかで、背が高く、ハーフみたいな顔して
いたんで看護師さんに人気もあって、さして用事も
無いのに顔を見にくる看護師さんが何人かいました。
看護師さんはよくしてくださいました。
ただ、幸いなことなのですがアスベストによる中皮腫や
肺がんなどの症状は出なかったので急性期病院に
長くいる事はできずに、長期療養型病院に入院か、
在宅看護にするように言われました。
長期型の病院も探しましたが気管切開をしているので
痰の吸引が必要で、ほとんどの病院がその当時は
受け入れ拒否で、3か所ばかりありましたが、面接
とかも行って話ききましたけど、設備が整っていない
ので夜に具合悪くなって夜間も医者がいないので救急
車も呼ぶこともせず、次の日の朝に担当医が出勤して
くるまで何もできないけどいいかとか、殆ど回診しない
病院とかとんでもない所ばかりで(当時)とてもじゃない
けどそんな所にいれる訳には行かないので、結局在宅
介護にしました。ここから今の母とは違った壮絶な介護
生活が始まります。
長くなるので次回書きます。
はるき