こんばんは、春希です。
もう、5月も終わりだわ。昨日はスーパームーン見られ
なくて残念(/_;) 北海道とかすごい月が映っていましたね。
テレビからでもすごいエネルギーでしたわ。
さて、うちの家の介護事情父編の続きです。
書くかどうか迷いましたが、父が病気になる前のうちの
家庭事情をすこし書きます。
両親は山口県出身で厳密に言えば母は広島の呉市生まれ
で(「戦艦大和」を作ってた所)昭和20年にアメリカによる史上
初最大の虐殺にあたる原爆投下の目撃者です。
原爆が投下された時に偶々外に出ていて、落ちた瞬間を体
験しています。物凄い音と、オレンジ色の今まで見たことが
ないような大きなきれいな色のキノコ雲を見たそうです。
投下後はあまりの爆音を聞いたので15分くらい耳が聞こえな
かったそうな。呉市は被爆していませんが、広島市内からも
めちゃくちゃ遠くもないので母の兄が友達が学徒動員という
のでしょうか、それで市内まで働いていたので何日間くらい
広島市内の焼け野原を探し回ったりしたらしいです。
写真は深大寺です。
話戻りまして、両親は見合結婚して大阪に出てきました
ので私も、姉も大阪生まれ、大阪育ちです。
父は関西弁になっていますが、何故か母は標準語近い
喋りで田舎の母の兄弟ともイントネーションも違うし、謎。
関東には殆ど行った事無いんですが・・・・。母方の祖母
が標準語近い喋りをしていたらしいです。
私が大人になっても風呂なしのアパートに住んでいまし
て私は2、3年家出て一人暮らしをしていたのですが、
新築の家を買ったからうちに戻れと言われまして、それ
で家に戻って同居しました。
近所に建売の新築が何軒かできまして、そのうちの一
軒を買ってローン組んで住んでたのですが、その不動
産屋が後からわかったのですがヤー○○でして、買う
時に色々とややこしい事があったのですが、10年後に
他人に抵当権を取られていて、そいつが自己破産した
からローンが差し押さえられて、うちの家が競売にかか
ってしまいました。それから父と二人で競売の家を取り
戻すために、銀行や弁護士、司法書士を回ったりしま
したが結局どうも出来ずに手放すことになりました。
それで今の賃貸マンションに引っ越しました。
その競売で落とした不動産屋とのやりとりなども、その
時、父が一回目の入院していたので全部私がやって
それと並行して引っ越しの準備やら今と違った意味で
すごく大変でした。母親はまるっきりノータッチというか
相手にならないし、母の方が地元のいろんな知り合いも
いてるのに全然動いてくれなかったです。
引っ越しして一週間で、父が具合悪いといって病院に
行き、緊急入院しました。そこから長期の入院になり
ました。
父が長期の入院から人工呼吸器は離脱して家に戻った
ことまで先日書きました。
やはり、家に戻った父は気分的にも落ち着いたみたいで
つれて帰ってよかったです。
家には、要介護5なのでレンタル代は多少は免除してもら
ってたかなその当時は。
レンタルは介護用ベッド(リクライニングできる)、酸素吸
入器、外出用の酸素ボンベなどで、高かったけど補助
を使ってモーター音が少ない痰の吸引機を買いました。
あと、今コロナ関係でよく出てくる指に挟んで酸素濃度
を測るパルスオキシメータも買いました。高かったわ。
この酸素吸入器もわりと音がして夜間は響きます。
父が痰の量が多かったので夜中も目を覚まして、痰の
吸引するのですが、一番音が静かなものでもやはり
夜間なので割と響くんで、使う前に一階の角部屋なので
隣と下は部屋が無いんですが、上の方には騒音が響け
ば悪いので菓子折りもって最初にお願いしに行きました。
良い方だったので苦情は言われなかったのですが、響い
ていたと思います。
一番やっかいなのがうちの母で、父のベッドをいれてる
ので一緒に寝てた部屋で寝れずに居間に布団をいれ
て寝てたのですが、音に神経質で父が痰の吸引を夜中
にしたらうるさいから寝れないといって吸引機のスイッチ
を切ったりするとかという事をするんで、父は文句言いま
せんがすごい喧嘩しましたわ。窒息するがな。
私は夜中に父が吸引しそうな時は何故かふと目がさめ
るんで、吸引したげたりしました。私にいつも手を差し出
して「すまん」というポーズしてくれたのを思い出します。
母は身の回り世話はしてくれますが、吸引手伝ったこと
は一度もないなあ。「ようせーへん」「気持ち悪い」とか平
気で言ってたけど。私がいてない昼間よく無事ですごせ
たと。
父は誤嚥の危険性と嚥下能力が落ちてたんで胃ろうか
ら栄養取ってたんですが、やはり口から食事を摂取でき
ないと体力も落ち、筋肉も落ちて身長が173センチと年
齢のわり高かったのですが、体重が40キロ前半までに
落ちてかなり痩せてきました。
何とか嚥下機能を回復させて、気管を塞いで口からの
摂取をさせたかったので、通所リハビリでの訓練とやは
り喋りたいのもあるので声が出せる気管のカニユーレな
どもしていたのですがこのカニューレだと呼吸が苦しい
んで通常のカニューレに戻したりすることが多かったで
す。無理さすと今度は心臓にくるので。
食事に関しては、家なので私たちは普通に食事してい
ますんでそれを横で感じながら自分は食べられないての
は一番辛かったと思います。
医療的には薬をもらうために、月一の入院していた病院
への通院と週二回の訪問看護と、リハビリの通院、週3の
デイサービス、2週間に一回の在宅医療医師の訪問など
です。今は多分、制度が変わっているのでこれだけしたら
自費負担がすごいと思います。
まあ、なんでこんな外出させてるかというと、お恥ずかしい
話ですが母と放した方がお互いストレス無いからとケアマ
ネさんと訪問医の先生が相談して決めました。私が仕事に
行ってる間、かなり父に暴言吐いてたそうです。実は母も
父の在宅介護中に帯状疱疹になってしまって、一度なって
いるので怪しい思ってすぐに行きつけの医院に行ったので
すがいつもの院長先生がおらず他の先生が来ていて「帯
状疱疹じゃないのですか?」ってこちらが聞いたのにも関わ
らず、違うからとちゃんした薬を出さずに悪化させてしまい
かなり激痛に苦しみました。その当時が一番大変で、父の
介護をしつつ母の介護と通院を手伝って、母が動けないの
で母の食事を三食作って会社に出かけるみたいな感じだっ
たんで、今だったら確実に倒れています。
この時、母が痛さでかなり父に暴言吐いたらしく、父がちょっ
と鬱状態になってしまいました。
それでも、当時父の介護に携わってくださった、訪問看護師
の方、ケアマネジャーさん、在宅訪問の先生が本当にすば
らしくいい方だったのでとても助けられました。
まだ、話は続きます。
うちのお父さんはお寺より神社が好きでした。
治ったら靖国神社も一緒に行こうと思っていました。
春希
P.S私がこの介護関係の話を細かく書くのは情報共有
です。同じ、状況の方の手助けになればと思いまして。