こんばんは、春希です。
最近、忙しいというかアップダウンのジェットコースター気分です。
癒しが欲しい~(~_~メ)
今回、ちょっと重い内容を書きます。
さて、令和になってからあまり芳しくない事件、事故が多いですね。
今まで、何度かありました家庭内暴力による親族殺人事件について
思う所がありましたので書きます。
今回の事件は加害者である父親はなぜ公的な援助を求めなかった
のかにつきますが、先日の川崎市の事件みたいに他人に危害を加える事を考えて、息子を殺めてしまったと言ってますが・・・・、それこそ
が命を軽んじてるなあと思いました。それほどに追い詰められていた
のでしょうが・・・・。
以下は私の意見です。(心理的学的な専門分析とはないです)
引きこもりや家庭内暴力が取り沙汰されていますが、昔からあったと
思いますがこれほど増えた原因には、社会情勢や、家庭環境の変化
などありますが、ネット社会もかなり要因にはいりますね。
表に出なくても人と繋がれるもの、バーチャルですが・・・。
私自身もFBで仲良くなった人とチャットとかしていますが、たまに感覚がおかしくなる事があります。実際にあった人じゃないのに昔からのすごく親しい友達という感じがしたり・・・。それ自体は悪い事ではなく
何人か実際にお会いしてリア友になったりとかもあるので。
ただ、やはりSNS絡みの犯罪とかも多いので気をつけなければいけ
ない事は多々あると思います。
言葉だけで気楽にできるコミュニケーション、その裏には恐ろしい代償があるかもしれません。
家庭内暴力はまるで真逆の事をしていそうですが、本人にとっては
精一杯のコミュニケーションかなと感じています。(暴力を肯定してい
るのでは決して無いです)
子供を虐待死させてしまうような親は自分のストレスやイライラを
自分より弱いものに発散させているのだと思います。子供が親や
兄弟に暴力をふるったり、家で暴れたりするのは「かまってちゃん」
かな。こんなろくでもない自分にをどうかしろみたいな叫びが聞こえて
きそうな気がします。そういう感情がどんどん膨れていって社会に
対する不満、他人に対する憎悪、で関係無い人に刃を向ける。
カオナシもコミュニケーション問題ありのキャラをしめしているぽい。
先日の川崎市での事件や、大阪の小学生が殺された事件、秋葉原の
通り魔事件(池田小学校と秋葉原の事件年度は違うけど同じ今日6/8
なんですね。書きながらぞわっとしました)無抵抗で関係無い人たちに
刃を何故向ける事が出来るのかなといつも考えるのですが、自分の
イライラや勝手な怒りを他人にぶつけたと思いますが、その中でも
変な意味ですが(誤解あったらすみません)自分はこれだけの事を
した人間なんだみたいな歪んだ自己満足感を味わいたかったのかも。
決して真っ当な事では人に注目される事の無かった人間のコンプレックスが引き起こした事かと私は思います。非常に腹立たしいですが。
大阪と秋葉原の事件の犯人の生い立ちなどは結構いろんな所に書かれているので読みましたが、どちらも家庭環境はよろしくないみたいです。だから犯罪に走るのを仕方ないというのはとんでもない話で
私の友人にも劣悪の家庭環境で育ってきましたが真っ当に生きてい
る人がいます。
この大阪の事件の死刑囚と獄中結婚した方がいましたが、死刑廃止
論者でこの男を何とかまともにして遺族の方に謝らせたいと思って
入籍したみたいですが、何故の入籍? 自分なら変えれると思ったの
でしょうか? 私はかなり思い上がり勘違いかと思いました。
知り合いでも何でもない男と入籍して会って話すだけでその男の本心
を変えられると思ったのでしょうか?面会する関係上、身内になっていた方がいいのかとかあったのでしょうかね。
もし、万が一この死刑囚が無罪放免となって出所してきたときに一緒
に暮らせるか? それは無いでしょう。
他にもこの男と結婚したい女性が何人かいてましたが私は理解できないです。
こんな男は皆に憎まれて、孤独の中で死んでいくのが最も正当な 罪償いと思いますが。
私も箱庭療法をしていますので、子供様が作られた箱庭を沢山見て
きました。その中でも、子供さまからの無言のメッセージを感じ取れる
箱庭も沢山ありました。付き添いのお母さまには色々とお話しします。
周りにいてる大人が少しでも子供たちからの無言のメッセージを感じ
取る事ができればこのような事件も無くなっていくかもしれません。
究極のコミュニケーションと言えば、私の敬愛する作家の花村萬月
さんが「ブルース」という作品でこんな事を書かれていました。
主人公の村上という男に惚れているヤクザでゲイの徳山という男が
話します
~「究極のコミュニケーションて"暴力とセックス"だよ」~
確かそうかもね(悪い意味ですが)、どちらも人がいなくちゃできないし
相手の中に深く入っていくって事ですしね。肉体的にも精神的にも
そこには言葉はいらない・・・・。
奈良東大寺 廬舎那仏より すべての方に愛と祈りをこめて
春希
お読み頂きありがとうございました。