年下と年上どっちが好き? ブログネタ:年下と年上どっちが好き? 参加中
ジェネレーションギャップを感じる。
「分からない」「感覚が無い」のならば、そういえばいいと思う。
私には「経験」が無い。だから経験則が問われる問題に関しては「全く分からない」
経験が豊富な年上の人は、「経験則」を活かしてくれて、色々とアドバイスしてくれれば、大変ありがたい。

だけど「今起きていること」に関して、しかも「異性」として、分からない問題は、年上であっても、男であっても「分からない」といってくれればいいのに、と思うのだが、それができない人が多い。
「分からない」ことを「経験則」を武器に分かったふりをして、あえて間違った方向に強引に推し進めようとすると困るな~と思う。

自分のやり方を、生き方を、信念を、強く持つことは良いことだと思う。そうでない大人は、惨めだと思う。
だけど、それを「絶対的なもの」として押し付けてこないで欲しい。と若い衆はきっと多かれ少なかれ思ってるけど、全てを「ジェネレーションの違い」で片付けると、オトナがオトナの意見を、見解を、「ぶつけて」気づかせてくれることも無くなるのだと考えると、それはそれで、問題だとも思う。

周りを愚かだと思う自分は、もっと愚かだと気づく。
そして、自分は愚かにならないよう、頑張ろうと思うのだが、また周りを愚かだと思い始めたりもする。
混乱して、でも前を向きたくて、気を張って、それでも食らいついていこうと思う。
社会から。出るくいを打ったり、理想を抱える人間を嘲笑したり、できる人間に嫉妬したり、うまくやることが一番大事だったり、無難さが求められたり、見え方を重要だったり、本質からズレていることを理解しながら、「とはいえ」をとりあえず必要としたりと、遠まわしで、ややこしくて、めんどくさくて、あーそうですかと「やる気」の全てを奪い取ろうとする、閉塞的な会社・社会に対してでも。

でもフと、楽になりたいな~という甘えが生じたりすると、一気に辛くなってくる。
私は、何のためにこうやって少しのしんどさを我慢しているんだろう。
その我慢の先に、一体何があるんだろう。繰り返される、禅問答。
理想の生き方を実現している人は、本当にすごいんだと、分かった。

今の私は、年上が嫌い。年下のポテンシャルを信じたい。



ブログネタ:街でいちゃつくカップルむかつく? 参加中
ムカツキはしない。
ただ、最近私のカップルへのまなざしは、まるで不思議なものをみているかのよう。

なぜならば、最近私の目に入るカップルは、どいつもこいつも「お似合い」だから。
ギャル男は、ギャルの彼女の体を嬉しそうに触っているし、仕事のできそうなイケメンビジネスマンは、美人でスマートな彼女と知的な会話を交わしているし、ロハスなおしゃれさんの荷物は、優しそうなめがねくんが持ってあげている。びんぽっちいかっこした男の横では、ヤンママが子供をしかりつけてる。美男には美女が、ブオトコにはブスが、ソコソコな男にはそれなりの女が。それぞれ、幸せそうに見つめあい、手をつないだり、寄り添ったりして電車にのってたりするのをジッと見つめる私。

「この二人、出会うべくして出会ったかのように、互いの距離が近いけれど、一体どこで出会ったのかしら。どうやって恋におち、どのようにして今当たり前のように一緒にいるのかしら」

全然ピンとこない。私と似た雰囲気の男性なんて、出会ったことが無い(気がする)。

つまらんのう。とフト感じる。
「同一さ」による「安心感」や「同じ空気」みたいなものを最優先に結びついているカップル(あくまで想像)を見ると「妥協か!」とさま~ずバリにつっこみたくなる。あ~~~非常に退屈だ。

召使は、王子様に憧れる。お嬢様は不良に好奇心を抱く。若い男性が、中年女性の色香に惹かれる。老いぼれた男が、若くて美しい男を愛でる。私は・・・・。
ブログネタ:デートコースは相手に決めて欲しい?自分で決めたい? 参加中
デートってやつ。人生もそうだし、旅、イベント、全てのことに関して、直感的に「やる」と決めるのは私。でもその後のことは、「なるようになれ」

決まって、優秀な友人達に「その場」しのぎのフォローに奔走してもらって、やっとこさ乗り切る。これまで無自覚だったけど、自覚してしまった今となっては、確信犯だ。自戒の念を込めて。

といっても、本当に自覚したのは昨今の出来事。先を読む彼との時間。「僕は、常に先のことを考えて生きているから、その場を120%楽しむことはできない。スポンティニアスな人はだから、一緒にいるといいバランスかも」
何が起こっても、想定の範囲内。読める、分かる。読めちゃう、分かっちゃう。スポンティニアスという言葉を理解しているだけで、そして本質へ飢え、ジェヌインであることを求め、ジェヌインなものに癒されることを、少しでも共有できれば、それは未曾有の体験かもしれない。ドメスティックなマーケットではの話。

スポンティニアスといえは、その大王と過ごした時間をどうしても思い出す。イージーだけど、頼りがいがある。場足り的なのに、肝心なことは逃さない。チャッカリ。シッカリ。ぬけぬけと、ずるがしこい。率直な態度。けれど、「言葉」にはしない。それが彼の美学だった。これは別の男の話だ。過去のオトコと比較するのは、不毛だし、何よりはしたない。さらにいうと、彼は、はしたないことの嫌いな男だった。不毛なことも。私は、彼の率直な態度(その場の判断・ジャッジメントを、行動・素振り・表情で表現すること)で、自分のはしたない行動にはっとし、それこそはしたない(決まりの悪い)思いをよくしたものだ。彼の理想とする女性との戦いだった。自分らしくある部分は認めてあげなければ辛すぎる、しかし「淑女」への道の遠さを示してくれる存在でもあった。「求められる女性像なんかくそくらえ!」という思想と、相反する態度。

つまるところ、デートコースは、自分で決めたい。その場で、好奇心が赴くままに導かれるようにしての発見は、何よりも得がたい。南国ローザの昭和歌謡に聞き入り、かと思えば空ミミアワーで遊ぶとか。でも、後一歩の計画性で、押さえておくべきポイントを一つだけ抑えておけると、すごい充実感だと分かった。この歳にして、「バランス」の大切さを知る。