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〜3月という月 〜 あの時の福島で、そして今、未来

~もしも放射線の飛ぶ街に住むことになったら~
 福島のあの時、今、そして未来を思い、心を紡いでいきます

リスコミについて…

今回の原発事故後の様々な基準値について、被災者はどう捉えているのだろうか?

もし学術的にその基準値が正しいのならリスク評価も学術的に妥当、けれど論文等間違っている事もある。
リスク評価して決定したものがどう受けいれられているかがリスク管理。
今までもそれは押し付けが多かった。
受けいれる側との合意形成が出来ておらず、リスク管理、リスコミとしては上手くいっていないと感じているのは自分だけだろうか。

リスク評価は本当に妥当なのだろうか。
そうでは無いからTwitter上でも、専門家やその他の方々が議論していて、決着をみていないし、なかなか収まらず、そういう事もあり受け入れられない人々がいるのではないかと思う。

リスク評価が学術的に妥当という事の中に、経済的な観点も入っているのだとすると、科学的ではなくなるし、政治的判断が入っているのなら、それも同じ事。

その辺りからも不信感の元がある。何となくスッキリしないのはその辺りなのだと思う。
リスク管理という名の、リスクの押し付けと受け入れを強制するリスコミになっていると感じるのは、そのあたりに原因があるのだと思う。
もちろん、合意形成かなされていないというのも問題である。
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例えば、身近な例え話をするのなら…
子どもや保護者が利害関係者で管理職や教育委員会などが行政だとします。
担任が児童生徒にとって指導力不足の不適格教員だとします。しかし教員免許も持っているし一生懸命やろうと努力しています。
しかし児童生徒や親にとっては疑問だらけのしかも子供らにとってむしろマイナスの状況しか産まない担任だとします。
管理職や教育委員会は担任は適切な指導をしていて問題ないからそのまま
の状況で過ごしてくださいと言ったとします。
その時、児童生徒や保護者がその担任をすんなりと受け入れられるでしょうか?
児童生徒に対する不適格な数々の対応や状況を見て、上の者の判断が間違っている上の者は理解していない、この担任を押し付けて受け入れろと言っていると感じると思うし、受け入れられないと思うのです。

例えて言えば、そういうオカシナ事になっているという事です。

多くの人々がその担任が適切な方だと思うのならそんな問題は起きないし、その担任が不適格だと騒ぐ方が極々少数なら、受け入れ側や個人的な問題かもしれません。
しかし、ある適度の数々の受け入れられない人々がいるという事は、やはりどこかにそのリスク評価が妥当で無いからだという可能性があるからなのではないかと思うのです。

全て100%の人が良い、などという事象はそうそうない事だと思いますが、受け入れられない人々の割合が多くなればなる程、そこには何か問題があるのだという意識も持つ事も、とても大事な事だと思います。

そういう事が、このリスク評価、リスク管理、リスコミで感じられるのです…