連載8 康生☆ラプソディー【松坂屋時代の女子高生】 | 東海愛知新聞『矢作に住んでみました』バックナンバーはコチラ

 

康生☆ラプソディー時代は

 

いつもいつも、腹ペコちゃんだった

 

食べても食べても、動いて消費してしまうので

 

常にガソリンを補給したい状態だった

 

毎日、お昼の時間になると

 

近所のお店屋さんが来て

 

校内販売をすることは

 

本当にありがたくて、

 

生きがいのひとつだった

 

アルミ箔に包まれた、

 

あったかいフレンチトーストが

 

たまらなかった

 

いかにも手作り感満載の、食パンサイズである

 

ある日、

 

いつもは一枚入りのアルミ箔が

 

ちょっと厚めだったので

 

(もしや・・・)

 

と思い、そっと広げたら

 

2枚入っていて

 

飛び上がったことを覚えている

 

 

移動手段は自転車

 

いわゆる「ケッタ」である

 

結婚した頃、

 

自分の自転車を使おうと思ったら

 

見当たらなかったので

 

ちょうど、目の前を歩いていた同居の母に

 

「お母さん、私のケッタ知らない?」

 

と聞いたら

 

「けった?なにそれ」

 

言い返された

 

母は福井出身であった

 

同居の両親が岡崎市に引っ越し

 

20年以上経っているのに

 

使わない人にとっては

 

こんなものなのね、と思った

 

女子高生の私たちにとっては

 

なくてはならない、体の一部だった