連載105【矢作に残る戦争の痕跡 巡洋艦「矢矧」】 その5 | 東海愛知新聞『矢作に住んでみました』バックナンバーはコチラ

愛知県岡崎市矢作神社(やはぎじんじゃ)に残された

 

巡洋艦(じゅんようかん)の模型

 

矢矧(やはぎ) → 矢作の旧字体

 

に出会ったことで

 

なぜ、このようなものが、

 

このようなところにあるのかを

 

調べてみることから始まったこのシリーズ

 

 

日本の艦は、初めはヨーロッパで作られていたそうである

 

それを、日本人があっという間に改良し

 

世界最高峰の艦を作り上げたために

 

各国において、艦の保有数の規定が変わってしまった

 

それは、日本に高性能の武器を独占させないための

 

作戦でもあった

 

そのような、高度な技術を持っていながら

 

国内では、艦の製造はもとより、

 

進水、出向など、

 

国民には一切知らされることがなかった

 

もしも、

 

自分の夫や兄弟、息子が艦に配属され

 

遠い異国で戦っていても

 

正確には知らされないのである

 

そんな馬鹿げたことがあるだろうか

 

「大和(やまと)」や「武蔵(むさし)」、「長門(ながと)」など

 

有名な艦はいくつかあるが

 

知られていない艦は、他にもあるのだ

 

戦争の犠牲となった人たちは

 

命と青春を燃やし尽くした

 

現代に生きる私たちには

 

命をかけるものがあるのだろうか

 

この「矢矧」シリーズも

 

ぜひ、目を通していただきたいシリーズである