愛知県岡崎市矢作神社(やはぎじんじゃ)に残された
巡洋艦(じゅんようかん)の模型
矢矧(やはぎ) → 矢作の旧字体
に出会ったことで
なぜ、このようなものが、
このようなところにあるのかを
調べてみることから始まったこのシリーズ
日本の艦は、初めはヨーロッパで作られていたそうである
それを、日本人があっという間に改良し
世界最高峰の艦を作り上げたために
各国において、艦の保有数の規定が変わってしまった
それは、日本に高性能の武器を独占させないための
作戦でもあった
そのような、高度な技術を持っていながら
国内では、艦の製造はもとより、
進水、出向など、
国民には一切知らされることがなかった
もしも、
自分の夫や兄弟、息子が艦に配属され
遠い異国で戦っていても
正確には知らされないのである
そんな馬鹿げたことがあるだろうか
「大和(やまと)」や「武蔵(むさし)」、「長門(ながと)」など
有名な艦はいくつかあるが
知られていない艦は、他にもあるのだ
戦争の犠牲となった人たちは
命と青春を燃やし尽くした
現代に生きる私たちには
命をかけるものがあるのだろうか
この「矢矧」シリーズも
ぜひ、目を通していただきたいシリーズである