NHK大河ドラマ「どうする家康」にて
小牧・長久手の戦いが放送されるということで
予習に行ってきた
街中にあるのに
違和感なく馴染んでいる
岩崎城
激戦の地となったにも関わらず
ドラマでは登場しなかったので
残念だった
まぁ、それは、制作の都合上なので
致し方ない
とりあえず
小牧・長久手の戦いとは
一度だけの戦ではなく
半年かけ(秀吉軍と家康軍の、膠着状態が続いたため)
幾つもの戦が行われたものだそうである
信長が亡くなった、本能寺の変から見るとこんな時系列となる
1583年(天正10年)本能寺の変 信長自決
1584年(天正12年)3月 小牧・長久手の戦い 犬山城→羽柴軍 小牧城→家康軍
4月 羽柴方の武将池田恒興の進言で別働隊をひそかに岡崎へ
「中入り」と言われる作戦が始まり、岡崎城狙われる。
↓
犬山から三河へ向かう途中に岩崎城がある
↓
岩崎城の城主4代目丹羽氏次(家康軍に合流していた)
弟の丹羽氏重に城の留守を預ける
↓
岡崎城へ向かうはずだったが、羽柴軍の進軍に攻撃を開始
氏重16歳
池田軍と岩崎軍の戦いで、岩崎軍の200名(300名とも)と
ともに氏重討死する
↓
徳川軍、丹羽氏次の先導により羽柴軍に追いつく。
長久手で対決となる
↓
羽柴軍の有力な武将
池田恒興・元助親子、森長可(森乱の兄、鬼武蔵)討死
↓
徳川軍の勝利
家康、岩崎城での奮闘を讃える
「一番の戦功者は池田勢を足止めさせた、岩崎城代丹羽氏重である」
兄の氏次に一万石(三千石、五千石とも)を褒美に与える
それぞれの隊の人数を見ただけでも
相当大きい規模だということがわかる
詳しくはコチラ
池田軍7000
岩崎城城兵300
岡崎城へ向かう池田軍を足止めしたのは
その時、岩崎城の留守を預かっていた
丹羽氏重
16歳である
岩崎城の眼下を進む池田軍は7000人
その数の多さには、さぞかし肝を潰したに違いない
それでも
城を頼まれた
16歳の氏重は
見過ごすことができす
300の城兵と共に戦いを挑んだ
「岩崎城の戦い」である
氏重は3度、敵を城から追い出すも
300人の城兵と共に討死
結果
岡崎へ向かう池田軍の
足止めは成功し
家康軍が追いつき
見事勝利へと導くのである
記念館の資料を見て回るうち
たくさんの人が現れて
たくさんの人たちの
追い詰められた
緊迫した思いが伝わってきて
たまらなかった
涙が溢れて
とまらない
・・・・・・
・・・・・・
今
こうして書いていても
戦場の緊迫した空気と高揚感と
そして恐怖が押し寄せてきて
体が震える。。。。
誰がここまで
訴えてくるのだろうと
誰がここまで
必死なのだろうと
思いを巡らす
あなたたちはいったい
誰なのですか・・・・
私に教えていただけますか
・・・・・・
私でできることがあれば
やらせていただきますよ・・・・
それはやはり
氏重と
氏重を取り巻く家臣や身内である
涙を流す暇がないような
これ以上ない
逼迫感
そして
氏重の命令を受けながらも
己の内から湧き上がる
恐怖と闘う城兵たち
思いがけず訪れた
いきなりの別れ
後に
家康公が氏重の功績を認め
讃えてくれたことは
本当によかった
昨晩は大河ドラマの
戦場シーンを見て
家康の喜ぶ顔を見て
再び
涙が込み上げた
大丈夫ですよ
あなたたちのおかげで
殿は勝利し
その働きは
しっかり認められていましたよ
・・・・・・・
・・・・・・・
16歳の若者が背負ったものは
あまりにも大きかった
あなたが覚悟を決めたおかげで
あなたが英断を下したおかげで
岡崎城は守られたのです
その英断に従った
岩崎城城兵たちの
決断は
恐怖に揺るがなかったのです
城下にみた
池田軍の人数の多さに
血の気が引いたことでしょう
無理だとわかっていながら
立ち向かっていった
その勇気は
未来永劫
伝えられるべき
功績です
あなたたちの命と引き換えに
日本の平和はやってくるのですよ
本当にありがとうございました
・・・・・・・
・・・・・・・
必死に祈りました
その場で亡くなってしまうと
その後どうなったのか
わからないままなので
こういう場合は
いつも
その後の結果を
お伝えするようにしている
小牧・長久手の戦いが放送される前に
会いに行けてよかった
またゆっくり
お墓参りへ行って話してこようっと
▶︎行ってみよう❣️とっても見やすくて綺麗な
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