連載88 【九州からの入京・桜井の別れ】尊氏の決意固めし矢作川 その7 | 東海愛知新聞『矢作に住んでみました』バックナンバーはコチラ

矢作三区の山車には

 

正面の鬼板と呼ばれるところに

 

楠木正成(くすのきまさしげ)親子の

 

「桜井の別れ」

 

の場面が飾られている

 

その縁からなのか、

 

戦時中のこと。

 

山車の焼失を避けるため、額田にある桜井寺に疎開させたそうである

 

(分解し、各部品を大八車に乗せて運んだ。矢作からは相当距離がある)

 

そのため、現在も山車は綺麗に残されているのである

 

たまたま

 

その桜井寺を管理される方と

 

お知り合いとなり、

 

矢作の山車の飾り付けの時に

 

山車の前で待ち合わせをしたところ

 

山車保存会の法被を着た方々が

 

桜井寺の方に向かって

 

「あのせつはどうも」

 

「あのせつはお世話になりました」

 

「ありがとうございました」

 

と次々にお礼を言われるので

 

びっくり

 

皆さん、地元の歴史は本当によくご存じなのだ

 

素晴らしい〜〜〜

 

桜井寺さんも

 

「こちらの山車のことは聞いて知っていたため

 

気になっていました。

 

なにしろ、私よりもっと前の住職なので・・・」

 

恐縮しきり

 

地元の関わりって、時間差を越えるんだなって感じたわぁ( *`ω´)g  ぐっ

 

スンバラシイ〜〜〜

 

 

 

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