矢作三区の山車には
正面の鬼板と呼ばれるところに
楠木正成(くすのきまさしげ)親子の
「桜井の別れ」
の場面が飾られている
その縁からなのか、
戦時中のこと。
山車の焼失を避けるため、額田にある桜井寺に疎開させたそうである
(分解し、各部品を大八車に乗せて運んだ。矢作からは相当距離がある)
そのため、現在も山車は綺麗に残されているのである
たまたま
その桜井寺を管理される方と
お知り合いとなり、
矢作の山車の飾り付けの時に
山車の前で待ち合わせをしたところ
山車保存会の法被を着た方々が
桜井寺の方に向かって
「あのせつはどうも」
「あのせつはお世話になりました」
「ありがとうございました」
と次々にお礼を言われるので
びっくり
皆さん、地元の歴史は本当によくご存じなのだ
素晴らしい〜〜〜
桜井寺さんも
「こちらの山車のことは聞いて知っていたため
気になっていました。
なにしろ、私よりもっと前の住職なので・・・」
恐縮しきり
地元の関わりって、時間差を越えるんだなって感じたわぁ( *`ω´)g ぐっ
スンバラシイ〜〜〜
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