一向一揆の元となった蓮如さんのお墓はどこに? | 東海愛知新聞『矢作に住んでみました』バックナンバーはコチラ

 

「どうする家康」でも3回に渡り描かれた

 

三河一向一揆

 

ドラマで中心となったのは

 

 

安城市の本證寺(ほんしょうじ)と

 

蓮如上人の孫にあたる

 

空誓上人(くうせいしょうにん)

 

演じられたのは、歌舞伎役者の

 

市川右團次さん

 

三河弁がうまかったねぇ〜〜〜

 

感心しちゃったわ

 

 

一向一揆は

 

その、空誓上人の祖父

 

蓮如さんが元だと言われているそう

 

その蓮如上人

 

数々の伝説が残された人物

 

 

室町時代の浄土真宗のお坊さんで

 

京都で起きた応仁の乱から逃れ

 

一時期は三河大浜(現在の碧南市)に滞在

 

そして、その後に土呂(現在の岡崎市福岡町)に到着

 

本宗寺を創建し、布教活動の拠点とした

 

しかし

 

「どうする家康」でも描かれたように

 

一向一揆は、のちの家康の人格形成や考え方にも、大きな影響を与えた出来事

 

(それは死後にも及んでいる)

 

 

一向一揆をおさめた後

 

蓮如さん所以である、本宗寺の再建は決して許されることはなかった

 

蓮如祭りの時に堂内を一般公開していた蓮如堂

 

 

家康の叔母である芳春院妙西尼(家康の生母・於大の妹)の度重なる願いにより

 

なんとか、真宗寺院と坊主衆は戻されたものの

 

本宗寺を再び土呂に建てることは許されず

 

現在の美合の地に敷地が与えられた

 

それが、現在も続く本宗寺である

 

蓮如さんは布教活動の地として

 

土呂には二年ほど滞在したそうである

 

土呂の寺には

 

蓮如上人の遺骨の譲状が伝えられ、

 

分骨墓の存在もあった

 

 

 

 

蓮如堂と呼ばれた

 

お堂の中には

 

蓮如さんが描かれた掛け軸、木像、

 

蓮如さんが成仏させたと伝わる

 

大蛇の骨なども展示されていた

(写真の蛇骨)

 

しかし、

 

時の流れには抗えず

 

現在、その土地は住宅地と変貌を遂げた

 

後日、地元の方に

 

蓮如さんに関わる史跡の

 

所在を確認していただいたところ、

 

地元の方が保管されているとのこと

 

近々立てられる、新しい公民館にて

 

展示される予定だそうである

 

 

私が住む町内でも

 

三年ほど前に公民館が新しく立てられ

 

館内に、町内から出土した埴輪や土器が

 

新しいガラスケースに入れられて

 

展示されることとなった

 

毎年、4月には「蓮如まつり」も

 

盛大に開催されている

 

このように

 

謂れが残る土地に、

 

謂れに関わるものが残ることは

 

本当に大切なことである

 

地元の皆様のご尽力には、心から感謝したい

 

 

 

 

文献・写真参考:小野宗芳様Facebookよりご了解をいただき、掲載させていただきました

ありがとうございました

 

 

▶︎行ってみよう❣️美合町【本宗寺】

石川数正のお墓もあります

 

 

 

▶︎参考:蓮如堂があった場所(現在は住宅地です)