三河藤原氏の痕跡を探せ!!大樹寺の旧梵鐘 〜藤原千手丸ミステリー〜 | 東海愛知新聞『矢作に住んでみました』バックナンバーはコチラ

大樹寺の旧梵鐘 三河藤原氏の痕跡を探せ!!〜藤原千手丸ミステリー〜

 

 

 

 

 

 

大樹寺@岡崎市鴨田町へ行ってきました。

 

     欲しかった、限定御朱印をゲット♪本堂の五色幕もいい〜〜

 

 

ここはNHK大河ドラマ「どうする家康」でも

 

第1話に登場した、松平家・徳川家の菩提寺です。

 

 

ここに、

 

兼高長者の末裔である

 

藤原千手丸

 

奉納した梵鐘があると知り、やってきました。

 

 

頼朝や尊氏を登場させた

 

三河藤原氏です・・・・

 

 

連載中の新聞記事にも、何度も紹介させてもらった一族ですが、

 

その一族の痕跡が、この目で見られるとは興奮です・・・・

 

 

 

 

 

 

 

石田茂作先生の著書「浄瑠璃姫の古蹟と伝説」には、

 

 

 

兼高長者の末裔である藤原千手丸の奉納した梵鐘が大樹寺に保管されている

 

 

としっかり書かれているにも関わらず、なぜか岡崎城にあると

 

勝手に勘違いしていました・・・・

 

 

歴史好きの地元の方が、大樹寺に行って、保管されているもの一覧を

 

Facebookに書かれていたので、

 

 

 

(すごい。たくさんメモされてきたんだな〜〜〜・・・)

 

 

とぼんやりみていたら、

 

 

んんん!?  こっ、これはもしや、藤原千手丸!?

 

 

例の梵鐘発見。

 

石田先生の本を確認したら、ちゃんと大樹寺保管と書いてあった次第でした。

 

 

 

 

 

うちの用事を済ませ、親の世話を済ませ、

 

大樹寺に走ります。

 

心が逸ります。

 

 

 

本堂にも上がらせていただき、

 

ゆっくりとご本尊にご挨拶をさせていただきます。

 

あ〜〜〜・・・なるほど

 

私の中に、ここに来たかった人がいるようで

 

ご本尊に手を合わせたら

 

涙が込み上げてきました。喜びです。

 

私の喜びかもしれません。

 

ご縁に感謝をし、色々と話しかけていたら

 

 

 

おぉお〜〜〜・・・・初めてご本尊の目が開きました

 

 

 

これも今回初めての経験です。感動・・・・・感謝です

 

 

(なぁんか、色々感謝だなぁ・・・私が探している梵鐘は、

 

 いつもみていた、通路に展示されているアレだろうな〜〜〜〜!!)

 

 

と思っていたら、やっぱりそうでした。

 

すぐに分かりましたが、順路があるので、順路通りに進みます。

 

 

 

おお〜〜〜・・・

 

室内の雰囲気がすごいです

 

 

 

いつもなら、大方丈障壁画(おおほうじょうしょうへきが)

 

使われておらず、真っ白な障子が使われているのですが、

 

現在はちゃんと障壁画が使われています。

 

何年も、何度も、訪れていますが、

 

こんなに再現されている光景は初めてです。

 

 

 

 

雰囲気がすごくて、

 

こちらはこちらで感動しました・・・

 

 

 

いつものように通路を進み、梵鐘の置いてある通路まできました。

 

岡崎市史 美術工芸17 p514

室町時代 1353年

総高111センチ 竜頭高22、5センチ

口径53、5センチ 銅鋳製

 

 

あーーー!!やっぱりそうだった。

 

いつもみていた、これだった・・・

 

 

 

 

この鐘は、年代が岡崎市内で一番古いものだそうです。

 

梵鐘を作るには、莫大な費用がかかるので、

 

奉納した人が分かれば、

 

その人が、当時どれだけ力があったのか、

 

その一族が、当時どれだけ繁栄していたのかがわかるのです。

 

 

その銘にしても、はっきりしないことがありました。

 

本の中でも、

 

藤原千手丸

 

藤原千寿丸

 

 

どちらの文字でも書かれているで、

 

 

(鐘はどっちなんだろう・・・)

 

 

そう思いながら、ドキドキして、彫られている字を確認したら、

藤原千手丸

 

そう書かれていました

 

 

 

が・・・

 

ん?

 

待てよ・・・・

 

 

 

大樹寺の説明文章や、岡崎市史でもそうなのですが

 

藤原千年丸

 

と書かれています・・・

 

 

 

ええーーーー!?

 

なんで?

 

 

 

と思ったら

 

確かに「年」とも読める・・・

 

 

うーーーーん

 

私はぱっと見、「手」に見えるし、「手」だと思う。

 

 

そして、

 

どうしてこの鐘がここにあるのかも

 

知りたかったのですが、

 

それも、ここにきたことで分かりました。

 

大樹寺の初代住職が

 

豊田市畝部の福林寺住職だったのです。

福林寺(豊田市畝部)

 

福林寺には、兼高長者一族の墓(石田先生著書より)があり、

 

千手丸の墓もあると伝えられているお寺です

中央が千手丸。左右は兼高長者の墓(供養塔)と伝わるもの

 

千手丸は、作った梵鐘を福林寺に奉納したのですが、

 

当時の住職が大樹寺住職となったとき(1475年)に、

 

この鐘を一緒に持っていったのだそうです。

 

その福林寺のご本尊が

 

千手観音

 

のため、私は千手丸は「手」だといいなと思うわけです。

 

そのご本尊は、雰囲気のある、とても素敵な千手観音様です。

 

 

 

その後、400年の間、諸行無常の響きを地域に響かせていたそうです。

 

大樹寺を一揆の陣としたときは、元康もこの梵鐘を使用したことがあるそうです。

 

しかしその後、一筋のヒビが入ったため、

 

現在の梵鐘と取り替えられ、

 

こうして建物の中に保存されることになりました。

 

大樹寺の鐘楼は珍しい形をしていて、

 

鐘が外から見えません。

 

なので、こうして建物の中に保存されていたから

 

見ることができたので、

 

よかったかなと思いました。

 

下の写真。右側の建物が鐘楼。

 

 

 

それにしても、

 

大樹寺を創建した松平四代目親忠は、

 

どうして福林寺住職に帰依していたのでしょうか。

 

大樹寺の住職となる前には、

 

井田野の合戦にて犠牲となった

 

多くの亡霊たちを鎮めるために

 

親忠から頼まれた愚底上人。

 

亡霊を鎮めるために作られた念仏堂に

 

七日間籠り

 

ようやく騒ぎは収まったと言います

 

そんな、亡霊騒ぎと言い、

 

今に残る千人塚といい、

 

その悲惨さを物語っているようです。

 

 

 

愚底上人のその法力は、確かなものだったに違いありません。

 

2021年に開催された、

 

「至宝 煌めく岡崎の文化財」

 

では、その愚底上人の肖像彫刻を見ることがき、

 

とても感動したことを覚えています。

 

「至宝」図録p187

 

肖像彫刻は本当に大事なものだと思います。肖像画よりも、実物に近いと思います。

 

雰囲気も伝わってきて、素晴らしい彫刻でした。写真では分かりにくのですが、

 

実物を見た時の眼の光の強さは、忘れることができません。

 

まるで、今も生きているかのようでした。

 

肖像彫刻、素晴らしいです・・・

 

 

岡崎市史 美術工芸17 裏表紙は、千手丸の梵鐘でした!

市内で一番年代が古いからでしょうか。嬉しいです。

 

岡崎市史 美術工芸17 裏表紙より