【築山御前を訪ねる旅】祐伝寺、八柱神社、地蔵院 | 東海愛知新聞『矢作に住んでみました』バックナンバーはコチラ

2018年1月20日築山御前ツアー

 

祐伝寺@両町・・・・・・・・

・築山御前の首塚があるお寺

・当時、徳川家康の家臣であった石川数正が、信長の首実検のあ と、岡崎に持ち帰り、最 初に首を葬った場所とされる

・本堂が美しく、天女の刺繍が心を癒す

・祐伝寺の首塚には、当時、首塚の目印として「榎(えのき)」 が植えられ、お地蔵さん が建てられたそうだが、現在榎は切 られ跡形もなく、お地蔵さんは福受町の地蔵院にて祀られてい る 

 

八柱神社@欠町・・・・・・・

・築山御前の首塚がある神社

・もともと、八柱の神様がご祭神として祀られていたが、そこ 

 へ、築山御前と信康公もご祭神として合祀された

・築山御前にしろ、息子の信康にしろ、当時は「罪人扱い」とし て葬られたため、墓や菩 提を弔う為のお寺を造る事が許され なかった そのため、石川数正が築山御前を天照大 神に、信 康を仁徳天皇に仮託して祀った 信康のために信康をご祭神と して「若宮八幡 宮」を建てた。築山御前は「築山神明宮」に ご祭神として祀られたが「神明の森」を「足軽屋敷」とするた めに、八柱神社に合祀され、そのときに首塚も移動したとされ る

・氏子さんの話では、首塚を移動したとしても、400年も前の 首である為、ほんとうに「首」が発見されたかどうかは定かで はないが、首塚の目印としておかれていた「石」が現在も五輪 塔の前に残されている。その「石」のまえにある小さな祠と、 ちいさなお地 蔵さんのようなものも、一緒に移動してこちら にきたのではないか、と考えられる

 

地蔵院@福受町

・築山御前の位牌と、首切り地蔵が残されているお寺

・当時、お地蔵さんの首が転がり落ちたため「首切り地蔵」と呼 ばれたのだとか

 

 

祐伝寺と祐伝寺の首塚

 

 

 

八柱神社と八柱神社の首塚

 

 

 

 

 

 

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(あめぶろ『毎日がスピリチュアル ちはる@愛知県岡崎市』)