【家康行列】築山御前のこころに迫る  | 東海愛知新聞『矢作に住んでみました』バックナンバーはコチラ

※ 歴史ブログと同じ内容です

 

幼なじみと、元町カフェでモーニングするため

うきうき♡と車で向かっていたら、

頭の上、後ろの方に誰かがついてくる事がわかった

(きっと、Nちゃんに会いたいんだなぁ

 私と一緒に、Nちゃんの話を聞きたいんだろう)

なにしろ、このNちゃんも、相当な霊感ママである

期待に胸を膨らませながら

カフェの駐車場へと急いだ

カフェにつき、Nちゃんの顔をみて

話に花を咲かせていたら、

見えない誰かがついて来ている事など

すっかり忘れてしまっていたのだが、

Nちゃんの、ご実家の呉服屋さんの話題になり

「昔の人が、一生に使う着物は3枚でよかった」

という、話をしてくれて

(こういう話は、子どもたちにも聞かせたい)

展示会の話を聞いていたら

(あぁ、そういえば、誰かがついて来ているんだった〜)

ついて来た人が、とても満足しているのがわかった

いつもは、そこまでご実家での、仕事の話をしないNちゃんなのである

私も、そういうプライベートな話を聞く事が出来て、うれしかった

そんな私以上に、満足しているひとがいる

その話を聞いて、満足しているのは誰かというと

殺されてしまった、家康の正妻、「築山御前」である

なぜ、いきなりこんなところに

そんな歴史上の有名人が現れるのか、というと

こんな理由がある

今年の桜祭りの家康行列の

募集がさっそく始まったのだが

お知り合いのお嬢様で「築山御前」に

応募される方がいるためである

その方は、なんと、松平の血筋の方

まえまえから、行列参加をお願いしていたのだが

今回、やっとご応募していただける運びとなった

その方の、選ばれた応募枠が「築山御前」なのである

 

「築山御前」は徳川家康にとっては初めての奥様で

家康にとって、初めての子ども「信康」を生んだ方なのだが

築山御前も信康も、謀反の容疑をかけられ、打ち首となり

悲惨な最期を遂げている

(岡崎市内には、築山御前、信康、両名の首塚が残されている)

家康にとって築山御前は、おしつけられた縁談だったかもしれないが

なんといっても「色白で超絶美人」と名高かった人

そして、愛する息子までも、殺されてしまった人

私が視させていただくと、押し付けられた縁談とはいえ

夫婦仲は悪くなかった、というか、2人の間では

家康のほうが、築山御前をたてていたのではないか、と思う

それでうまくいく、ふたりだったと

今の時代であれば、よくある夫婦像である

私がその首塚を思い出すと、

真っ白な顔に、真っ黒な長い黒髪が

べったりと絡み付いた生首が

頭の中の暗闇に、ごろりと転がってくるので

なんとも辛い気持ちになるのだが

今回の家康行列に、松平の方が出る事によって

少しでも、癒されるなら、

少しでも、松平のご先祖様が、喜んでくだされば、

そんな想いを持って、お嬢様の「築山御前」のご応募を

応援させていただいいる

そしてほかにも、築山御前を癒す方法がないものかと

ここ最近、ずっと考えているのだが

それをNちゃんにも話したら

「この方は、雅なことがとてもお好きな人だから

雅な雰囲気を、味あわせてあげるといいとおもう」

「たとえば、着物でお墓参りにいくとか」

そのように、私たちの意見が一致した

私も、築山御前の「局」に応募し、当日まで

松平のお嬢様と、築山御前を陰ながら支えたいと考えている

家康行列は、各配役の人物が注目され、

ご供養させていただくには、またとない絶好の機会

この機会に、築山御前の

悔しい気持ち

辛い気持ち

悲しい気持ち

口惜しい気持ち

恐ろしい気持ち

家康への怨み

親としての信康への想い

様々な想いが、少しでも和らぐよう、祈るばかりである