【歴史探偵さかもとさん動画】史蹟 大友皇子丸藪之館址  | 東海愛知新聞『矢作に住んでみました』バックナンバーはコチラ
史蹟 大友皇子丸藪之館址 歴史探偵さかもとさん




岡崎市東大友町にある神明社に伝わること
大津を脱出した大友皇子は、「南海を巡り」て伊勢に立ち寄りました。ここで身の安全を願ったのでしょう。南海は千葉県君津市の伝説により、一旦難波まで出て、船で紀伊半島沿いに南下し、串本を回って志摩半島にたどり着いたと考えます。伊勢の参拝を済ませ、再び船で出航しました。そして、次に上陸したのが三河湾の碧海地域、現在の愛知県西尾市です。皇子たちは矢作川を遡って岡崎市に上陸します。上陸地の住人たちが皇子を温かく迎え、竹林の中に館を建てて住まわしたと言われています。そこを「丸藪」と呼んでいます。神社の東方にある公民館前には丸藪跡の石碑が建っています。

◉神明社社殿の北東50mのところにある大友皇子の記念碑。
◉数年後には、神明社南側に移転される計画あり
◉古代、このあたりは湿原地帯であり、細長い竹が一面に茂る竹薮であったのだろうと思われる。(矢作神社に残る、ヤマトタケルが矢を作った竹と同じ細長い種類の竹)