湧井・涌井氏の碑への行き方

(北条時茂の子孫伝承)

 

いつもご覧くださる皆様、

本当にありがとうございます。
  
心から感謝致します。

皆様にとって良い事が
 
たくさんありますように!
 

 

3回目ですが、

 

個人的にお問い合わせがあったので

 

書いておきます。


 

 

そもそも時茂は誰かというと、

 

大河ドラマの主人公義時の孫です。

 

義時と姫の前


(比企氏・ドラマの比奈さん)の

 

間に生まれた重時の息子です。

 

母は重時の継室(後妻)である


治部卿局(平氏)です。

 

時茂は、


大河ドラマの『北条時宗』では

羽賀研二さんがされていた役であり、

六波羅探題の北方になったものの、

過労死をしてしまう

(鎌倉から京都へ戻って

すぐ亡くなったことから

暗殺説もある)


人です。


彼の子どもは5人いたのですが、

足利氏とつながったことで

室町時代まで系統がつながり、

大枠では彼の兄長時の血統


である赤橋家が

最後の執権守時や

足利尊氏の正室登子を出しています。

得宗の次に家格が高かったといわれています。

湧井・涌井氏の方は

時茂が新潟に近い長野県に

領地(常磐牧)をもっていて、
 

そこの女性との間の子孫を 

常磐氏(常岩氏)といったとのことです。

幕府滅亡後に


後醍醐天皇の命で追われた際は、

豪族高梨氏に滅ぼされたことにして逃げ、

後に豪雪により、

北条・中条・南条など


「条」のつく名を名乗って

子孫が分かれたのだという説があります。

「湧井」が本家・分家で

 

「涌井」が新しい分家筋であるそうです。

 また涌井寺という寺を建てていたようで、

今でも湧井の碑と


湧井寺の跡の碑がたっています。


場所は少しわかりにくいですが、

行ったことがあります。

碑の後ろは

いきなり谷のようになっているので

気をつけてください。

場所:長野県下水内郡豊田村永江字涌井

赤丸の所です。

https://www.google.com/maps/@36.8182184,138.2825093,3a,75y,331.63h,98.17t/data=!3m6!1e1!3m4!1seI9nVmfdvGjZMXO8trmKaw!2e0!7i13312!8i6656


目印:「手打ちそばきたざわ」

というお蕎麦やさん

(長野県中野市大字永江涌井7961)

 

 

 

きたざわさんの前を右方向へ行くと、

 

県道96号線にぶつかります。

 

それを左に道なりに進みます。

 


消防団のポンプ小屋があります。

 

ポンプ小屋の右側に小さな碑が立っており、

 

そこには湧井寺趾と記されています。

ポンプ小屋の前の道を右折します。



道なりに左方向へ進みます。


 

道なりに左方向へ進みます。



次のつきあたりも左方向に進みます。



道なりに右方向に進みます。



この道をそのまま直進します。

 


右側の所に碑が見えます。

 

 

碑の表

 

碑の裏

 

 

 

碑の内容はこちら↓

 
隣には湧井寺の跡に関する碑もあります。

前回よりも

 

詳しく書きました。

 

このことが

 

どなたかのお役にたちますように!

この世に本当の偶然はありません。

全ては必要だから起こっています。

ご縁がなければ出会えないように

なっています。

そういうあなたとご縁があったからこそ、

本日、このブログで出会うことができました。

ここまでご覧くださり、

本当にありがとうございました。

皆様にとって良き日、

良き時間でありますように!

合掌