2024年3月29日、母が私の住むA市の施設(グループホーム)に昨年4月に入所となったため、母のいた大阪の実家は空き家になっていますが、たまたま大阪で知人に会うことになったので、2泊3日で車で行きました。今月3月に母が「腎盂ガン」の告知を受けたため、そろそろ空き家処分のことも具体的に動く時期にきました。いつもですが、大量の荷物の中から、「あっ!」と思って手を止めたものがこのパンフレットです。

1978年7月、私は東京の私立大学の4年でした。単位はギリギリでほぼアルバイトの生活でした。当時は学生援護会が短期のアルバイトを斡旋していて、長期の家庭教師とともにいくつかのアルバイトを掛け持ちしていました。

そんな中、私は有り金を全部はたいて、1か月間の英国(ケンブリッジ)へのホームステイのツアーに申し込んだのでした。その結果、出発ぎりぎりまでアルバイトをしなければなりませんでした。その出発前の最後の仕事が「絵画の整理」でした。何をするかというと、家の中にある油絵を言われたところに運ぶというものです。

千駄ヶ谷の駅からすぐの公園の前あたりに確か3階建ての小ぶりのビルがあり、1階に「女性発明協会」といのがありました。発注者の家は、その2階と3階で、そこは私邸になっていて大量の油絵(サイズは大きなものから小ぶりのものまで)があり、私ともう一人の同じ大学の学生2人で、言われる通りに2階から3階も含め、運んでいくのです。確か期間は3日ほどあったと思います。

そこに発注者である松任谷さん姉妹が現れました。お姉さんの方は、何かどこか見たことがあるような・・と思っていましたが最初に顔を会わせた程度でした。妹さんの方は、非常に優しい方で指示をしてくれるとともに、いろいろ言葉をかけてくださいました。おまけに、昼食を作ってもらって、三色弁当(ご飯の上に卵そぼろ、鶏そぼろと野菜だったか?)を食べたことがいまだに記憶にあります。何か、貧乏学生に対して、まあ言えば裕福なお嬢様たちなのでしょうが、そんなことは全然なくて非常にフランクで、びっくりしたのを覚えています。声をかけて下さるのも優しいのです。私が当時23才ですので、10歳以上は上でしょうか?

家には、完全洋式の足を伸ばして浸かる底の浅いバスタブが、普通に床においてあり、その当時の家庭にはないものですので、びっくりしました。

実は、その翌週、私は英国で、このバスタブ(絨毯の上に置いてあるだけの)に戸惑い、髪をどこで洗ってよいかわからずに格闘!?したのでした。

まあ、そんな文化ギャップを味わったこのお宅のことは、私にとっては凄い驚きとともに、妹の千鶴さんのあの優しさを思い出すのですね。

その後、アルバイトに明け暮れた学生生活も何とか卒業することができて終わり、就職して大阪の勤務先にいた夏に、私が学生の時に下宿していた親戚(叔父)の家に電話があったと連絡がありました。当時は今のような携帯やスマホはなかったのです。

あの「絵画の整理」のアルバイトのリピートの要請の電話でした。それを聞いて、何だか暖かいものを感じましたね。

 

アルバイトの発注者は、松任谷国子さん(姉)と千鶴さん(妹)です。後でわかったのですが、お姉さんは当時、よくテレビ出演をしておられ、どこかで見たようなと思ったのでした。お姉さんは最初だけ見たような記憶で、私の記憶は、仕事の指示の優しかった妹さんのことで、半世紀たってもなぜか鮮明にあるのですね。あの三食弁当とともに・・・

 

(補足)

あの音楽で有名な男性の松任谷さんとは確かご関係(親戚?)があったやと・・・。アルバイト中に確かお父さんもお会いしましたし、何かの資料で元議員さんと記憶していますね。

たまたま私の実家(空き家)にこのパンフレットが残っていたので、この記事を書いていますが、記憶の事ですので、少しあいまいです。

(ネットで多分調べればわかると思いますが)私もこの年ですので、ご健勝を祈るばかりです。