それはだいたい依存した後駄目になるって話が続くから。
と、言いますか僕は良く見聞きします。
でも良く考えてみると、みんな依存はしてるんだよね。してないつもりでいるだけで。
だって何でも一人でやって生活してる訳じゃないから。
太陽や空気にだって依存してると言えたりもする。
だから依存は悪くはない、本当は。
ただ、その内容なんだと思う。
太陽や空気については肉体を持っている以上、必要な事で、しかも自分の意思で、要る要らないが決めれない事だよなぁ~
だから依存して当たり前。でも当たり前だと胡座をかくんじゃなくて、その存在に感謝するって事は必要なんだよね。
じゃあもっと自分で選択できる範囲になればどうか?
例えば、子供が親に毎日弁当を作ってもらってるなんかは?
これも毎日だったら依存だよね。しかも自分で作ろうと思えば作れる。
自分で選べるんだね。
でも、家族の中の役割りで言うと、作ってもらってるから駄目って感じにはならないよね。
その分、子供は子供としての自分の役割を果たしてれば良いんだし。
でもやっぱり当たり前じゃなく感謝する事は大事なんだよね。
で、駄目になる依存てのは何なんだろ?って考えたら、自分でも選択できる事で、特に役割りってのでもなく、自分が主体の自分の宇宙なのに、その主体を継続的に誰かに渡しちゃってるものがそれに当たるのかもしれない。
だからどうしても分からない、きっかけを掴むため等の為にピンポイントで頼るのは駄目になる依存には当てはまらないと思います。
それは自分主体でやって行こうとする思いがあるから。
ところが、自分の人生なのに誰かの言う事ばかり聞いていたり、その存在が居ないと自分は駄目だってなってる。それは物でも構わない。
それはダメ依存なんじゃないかな。
もう自分が何で生きてるか分からなくなっちゃってる感じになる事もあると思います。
だから同じ依存という言葉でも、内容によって大きく違うんだと思います。
自分が依存して生きてるって事はちゃんと知ってた方が良いかな。
だって自然と、ありがとうの感謝が出てくるから。