こんにちは、ロイヤル麦茶です。

今回紹介する神社は熊本県熊本市南区十禅寺にあります十禅寺日吉神社です。

御祭神は大山咋神をはじめとする日吉山王二十一社の神々、国常立神、国狭槌尊、惶根尊、伊弉冉尊、天之忍穂耳尊、瓊々杵尊。

仁平3年(1153年)肥後の国司として着任した石浦河内守經國が願い出て近江国の比叡山の日吉大社の御分霊を勧請し、国家安泰・宝祚(天皇の在位)延長の勅願所として、また神蔵荘一円の鎮守として創建されました。
二条天皇、後鳥羽天皇、四条天皇、御深草天皇、称光天皇より度々の国家安泰・宝祚延長等の御祈願がなされるなど、中世においては肥後国有数の神社として栄えました。
その後、豊臣秀吉の時代に肥後の領主・佐々成政の暴政により社殿等を焼かれ、社領も没収されてしまいましたが、後の領主・加藤清正、細川家三代藩主・細川綱利により社殿も祭典も再興され、以後細川家歴代藩主の信仰も厚く、特に六代藩主・細川重賢の時には細川家の産土神と定められ、以後は細川家の家督相続、嫡子の安産、誕生等の旅に御祈願の死者を遣わせるなど再び御社頭の繁栄を見ました。
明治維新の版籍奉還・廃藩置県により藩政が終わり、旧藩主細川氏も東京へ移住された為、細川家の保護も無くなったものの、氏子・崇敬者の厚い信仰に守られております。

 

九州産交バスで十禅寺日吉神社最寄りの十禅寺町バス停までやってきました。

 

バス停のそばにある豊肥本線の踏切の手前に案内板がありました。

 

案内板にある矢印の指す方向へ進むと十禅寺日吉神社の前に到着しました。参道入口に建つ鳥居は山王鳥居でした。

 

鳥居の右手には社名が書かれた石碑がありましたが、内閣総理大臣も務めた方が書かれたようです。

 

鳥居のすぐそばには神猿がおりました。

 

境内の北にある駐車場側の入口にも山王鳥居が建っておりました。

 

こちらは手水舎です。

 

手水舎のそばには不動岩のさざれ石がありました。

 

こちらは手水舎の左手にありました殉国者顕彰碑です。

 

殉国者顕彰碑の隣には改築記念碑がありました。こちらも内閣総理大臣を務めた方が書いております。

 

手水舎の向かいには神楽殿があります。

 

こちらは参道の右手にありました厳島神社と山王稲荷神社の合殿です。

 

参道の左手には兒島神社があります。

 

十禅寺日吉神社の拝殿です。

 

こちらは拝殿の手前におりました狛犬です。

 

こちらは本殿です。

 

社殿の右手には秋葉神社があります。

 

境内の古木の間には夜泣貝が棲息していると書かれた看板がありました。

 

看板のそばを探してみましたが、見当たりませんでした。

 

拝殿の賽銭箱に書置きの御朱印が用意されておりましたが、境内に宮司様がいらっしゃったので、拝殿内で持参した御朱印帳に書いて頂きました。

 

 

 

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