こんにちは、ロイヤル麦茶です。

今回紹介する神社は熊本県熊本市中央区水前寺公園にあります出水神社です。

御祭神は細川藤孝公、細川忠興公、細川忠利公、細川重賢公、細川光尚公、細川綱利公、細川宣紀公、細川宗孝公、細川治年公、細川斉茲公、細川斉樹公、細川斉護公、細川韶邦公、細川護久公、細川玉(細川ガラシャ)。

明治10年(1877年)の西南の役で熊本の城下は焼け野原となりましたが、旧藩主を敬い慕っていた旧藩士たちは藩主の御霊を祀り御恩に報い、御恩徳によって戦いで荒んだ人心を安定させ、熊本の町を発展させようとの願望から崇敬者を相集い、細川家に関係の深い水前寺成趣園の地を選び社殿を創建し、細川藤孝卿、細川忠興卿、細川忠利卿、細川重賢卿の4柱を斎鎮し、後に歴代藩主10柱および細川忠興卿の側室、細川ガラシャ夫人が合祀されました。
第二次世界大戦の戦禍により社殿は焼失し、難を免れた御神庫と神楽殿を旧社地に移し仮社殿としてお祀りしましたが、昭和45年(1970年)に社殿再建の気運が高まり、御復興奉賛会を設立し工事を進め、昭和48年(1973年)12月7日に現在の社殿が完成しました。

 

Googleマップのナビ機能を利用したところ、北参道の入口に到着しました。

 

鳥居の先には門がありますが、閉じられておりました。

 

出水神社は水前寺成趣園の中にあり、お参りするには入園料を払う必要があります。

 

という事で、水前寺成趣園の入口に周りました。入口には鳥居が建っておりました。こちらは令和3年(2021年)に建てられたもので、元はこちらから西にある水前寺橋付近に建っておりましたが、熊本地震で柱を残して崩壊したそうです。

 

鳥居の両脇には狛犬がおりました。

 

鳥居をくぐると右手の奥に鳥居が建っておりました。

 

こちらは復興の鳥居で、復興への強い思いや地震の記憶を風化させない為、崩壊せずに残った柱を加工して元の鳥居の姿のままを縮小・復元したものだそうです。

 

復興の鳥居のそばにはさざれ石がありました。

 

水前寺成趣園の受付で入園料を払い、中に入りました。

 

園内には富士山のような山がありました。

 

出水神社の境内前に到着しました。

 

鳥居をくぐると右手に藤棚がありました。

 

藤の花はちょうど見ごろを迎えるところでした。

 

藤棚のそばには二基の石灯籠がありました。こちらの石灯籠は熊本地震の揺れで多くの石灯籠が崩壊する中、倒れなかった為「ふんばり灯籠」と名付けられております。

 

参道の左手に手水舎がありました。

 

手水舎の右手に水盤があります。こちらの水盤は細川忠興により袈裟と命名されており、水口からは長寿の水と呼ばれる御神水が出ております。

 

手水舎の左手には夏目漱石の句碑がありました。

 

こちらは参道の左手にありました石碑です。「光復」と書かれており、昭和48年の社殿再建時に記念碑として細川家十七代・細川護貞が建立したそうです。

 

出水神社の拝殿です。

 

拝殿の左手には神楽殿があります。

 

拝殿と神楽殿の間には五葉の松があります。細川忠利が大事に育て鑑賞していた盆栽の松で、樹齢は400年を超えているそうです。

 

こちらは授与所の後方に建っていた石碑です。

 

こちらは藤孝(幽斎)公三百年祭記念碑です。細川藤孝は出家して幽斎玄旨と号し、没後三百年祭りを記念して明治43年(1910年)に建立されたものです。

 

こちらは崇徳報恩の碑です。昭和3年(1928年)の出水神社が創建五十年祭が盛大に行われた事や出水神社創建について書かれているもので、昭和4年(1929年)に建てられました。

 

こちらは神庫記碑です。恐らくそばにある御神庫について書かれているものと思われます。

 

こちらがその御神庫になります。

 

こちらは境内の東側にあります稲荷神社の千本鳥居です。

 

細川斉茲が京都の伏見稲荷大社を勧請したものです。

 

授与所でオリジナル御朱印帳を頂きました。

 

最初のページに御朱印を書いて頂いております。

 

 

 

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