こんにちは、ロイヤル麦茶です。

今回紹介する神社は群馬県高崎市箕郷町西明屋にあります東向八幡宮です。

御祭神は品陀和気命、須佐之男命、経津主命、大巳貴命、大山積命、建御名方命、火産霊神、保食神、事解男命、菅原道真公、他13柱。

応仁の乱(1467年~1478年)の最中に箕郷城主・長野尚業が山城国の石清水八幡宮より御分霊を勧請し、社殿を造営。箕郷城の総鎮守としました。
永禄9年(1566年)第四代城主・長野業盛が武田信玄に滅ぼされ、天正18年(1590年)に徳川家康が豊臣秀吉の命により尾張から関八州へ国替えとなり江戸に下ると、家臣の徳川四天王筆頭・井伊直政が北の要として箕郷城主となり、社領を寄進しましたが、慶長3年(1598年)に和田城へ移住の為、箕郷城が廃城になり社殿が荒廃しました。
後に安房勝山藩主・酒井安芸守隼人正の領地となり、白川に代官所が置かれました。隼人正が難病を患った時に夢枕に「領内に東向八幡宮あり我に祈願すれば、必ず平癒すべし」とお告げがあったので東を向く八幡宮を城下隅なく捜しましたが見つからず飛び地領内を探したところ、当所の代官・千賀弥平次が見分けて言上しました。
隼人正は近臣を遺して病気平癒の祈願をしたところ、すぐに全快しました。
隼人正はその霊験の明らかなるを畏み、報恩感謝の誠を捧げ、元禄5年(1692年)に現在の本殿を改築しました。

 

青春18きっぷを利用して信越本線の北高崎駅にやってきました。

 

北高崎駅のそばにあるバス停からバスに乗車しますが、バスが来るまで時間があるので、周辺のお店でお昼ご飯を食べようとしました。

 

しかし、めぼしいお店が無かったので、ファミマのイートインコーナーでパンを食べました。

 

バスが来る時間が近づいてきたので、ファミマのそばにある続橋バス停からバスに乗車しました。

 

東向八幡宮の最寄りとなる箕郷本町バス停で下車しました。

 

バス停の近くにある交差点から南へ下りました。

 

東向八幡宮の前に到着しました。

 

参道入口に建つ鳥居です。

 

社号標は鳥居の右手、少し離れた所に建っておりました。

 

鳥居の左手に手水舎があります。

 

東向八幡宮の拝殿です。

 

こちらは幣殿と本殿です。

 

由緒にもあるように本殿は元禄5年(1692年)に再建されたもので、彫刻が施されておりました。

 

社殿の右手に境内社の厳島神社があります。

 

池の上に鎮座していたようですが、水は無い状態でした。

 

本殿の後方には石碑や小祠がありました。

 

こちらは社務所ですが、どなたもいらっしゃいませんでした。

 

玄関に連絡先が掲示されていたので御朱印を頂きたい旨を電話でお話しました。社務所の前でしばらく待っていると宮司様がいらっしゃいました。

 

宮司様に御朱印を持参した御朱印帳に書いて頂きました。

 

 

 

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