こんにちは、ロイヤル麦茶です。

今回紹介する神社は茨城県水戸市常磐町にあります常磐神社です。

御祭神は高譲味道根命(徳川光圀)と押健男国之御楯命(徳川斉昭)。

明治元年(1868年)に徳川光圀と徳川斉昭の徳を慕う人達により偕楽園内に祠堂が建てられ、明治6年(1873年)に明治天皇の勅旨により常磐神社の社号を賜りました。
明治7年(1874年)現在地に社殿を造営し、5月12日に遷座祭が行われ、この日を例祭と定めました。

 

水戸駅から偕楽園行きのバスに乗って常磐神社までやってきました。

 

一の鳥居はかなり大きいです。

 

石段を上ると狛犬がおりました。

 

常磐神社をお参りしたのは梅まつり開催期間中だったので参道には屋台が並び、多くの人がおりました。

 

参道を進むと境内社の東湖神社がありました。

 

鳥居の手前に社号標が建っておりました。

 

東湖神社には徳川斉昭に仕えていた藤田東湖が祀られております。

 

東湖神社の鳥居前に狛犬がおりましたが、阿型の狛犬は屋台に隠れていた為、前から撮影する事は出来ませんでした。

 

吽型の狛犬のそばには手水舎がありました。

 

手水舎の先に二の鳥居が建っております。二の鳥居の先は全国梅酒まつりの開場になっておりました。

 

拝殿の前には参拝する方が多く並んでおりました。

 

こちらは境内社の常磐水神社です。

 

常磐水神社には彌都波能賣神が祀られております。

 

常磐水神社では御神水のお水取りが出来ます。

 

常磐神社の拝殿左手より奥に進みます。

 

奥に進むと常磐神社の本殿が見られます。

 

こちらは寒水石で、偕楽園の吐玉泉と玉龍泉の井筒としても利用されております。

 

先に進むと三木神社があります。

 

三木神社には徳川斉昭の育ての親である三木之次・武佐夫妻が祀られております。

 

常磐神社の本殿後方には狛犬と石碑がありました。

 

狛犬は備前焼で、明治8年(1875年)に寄進されたものです。

 

こちらは万世に伝う碑です。水戸の砲術・唯心術の伝来と神発流への発展の由来が記されております。

 

こちらは仰景碑です。水戸斉昭の愛民の治世、天保年間の飢饉の際に餓死を免れた常磐村十二戸の農民たちが斉昭の仁徳に感謝し、その恩に報いるべく御影講なる講社結んだ由来、その農民たちが毎年寄り集まって君恩報謝の行事を行う慣例となった事、常磐神社創建の際に講員たちによって杉苗三千本が奉納されたことなどが記されております。

 

常磐神社の社殿右手に常磐稲荷神社があります。

 

千本鳥居をくぐります。

 

常磐稲荷神社には宇迦之御魂神が祀られております。

 

こちらは常磐稲荷神社にいた神狐です。

 


こちらは常磐稲荷神社の千本鳥居のそばに立っている楠です。幹の空洞化と台風による幹の損傷で倒木の危険性が高くなったので伐採されましたが、上部から新たに芽吹き、現在も育ち続けております。

 

こちらは義烈館です。徳川光圀・斉昭の遺品遺墨をはじめ、水戸史学・水戸学関係の資料と両公の御功績を助けた家臣の書画・関係品を展示しています。

 

こちらは溶解炉で徳川斉昭が市内神崎に大砲製造所を設け、太田村の鋳物師を召して大砲を鋳造した際に使用したものだそうです。

 

こちらは知足の蹲踞(つくばい)です。徳川光圀が京都の竜安寺に寄進したものを模したものになります。

 

こちらは境内東側に建つ鳥居です。鳥居の向かいには駐車場があります。

 

鳥居の左手前には社号標が建っております。

 

授与所で御朱印を頂きました。梅まつり開催期間中は「観梅まいり」の印が入ります。境内社の御朱印ですが、以前は東湖神社のみでしたが、常磐水神社、三木神社、常磐稲荷神社も含めた御朱印になっておりました。

 

 

御朱印を頂いた後、石段を下っていると目の前に常磐線の特急列車が停まっておりました。

 

常磐神社や偕楽園の前には臨時駅の偕楽園駅があります。梅まつり開催期間中の土曜日・休日の日中に列車が停車します。

 

この後、東京に帰りましたが、偕楽園駅は下り列車のみの利用可能で、上り列車は通過するので、下り列車で一旦水戸駅に行き、水戸駅で上り列車に乗って東京に帰りました。

 

 

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