こんにちは、ロイヤル麦茶です。

今回紹介する神社は愛知県岡崎市中町北野にあります岡崎天満宮です。

御祭神は菅原道真公と道臣命。

建保2年(1214年)順徳天皇の皇女が野狐に憑りつかれ病に伏せられた為、武将の本間三郎重光と家来の伴隼人が野狐をする事となり、弓の名手だった伴隼人が野狐を射落としました。
しかし、野狐を退治したものの皇女は体調が回復せず悪化する一方だった為、日本全国六十余州の名山の土を集めて稲荷社として野狐の霊を祀ったところ、皇女の病は癒えて元気になりました。順徳天皇は大変喜び、稲荷社のそばに瑞生山総持尼寺を建立し、皇女自ら尼僧として寺に入りました。
建保5年(1217年)8月23日、総持尼寺の鬼門除けとして野狐を射落とした弓弦を御神体とし、本間三郎重光の祖神、道臣命を勧請して現在地に天神社を建立したのが岡崎天満宮の始まりで、当時は伴天神、弓弦神天神などと呼ばれておりました。
元禄3年(1690年)現在の東京都江東区亀戸にある亀戸天神社の別当職、菅原信祐が太宰府天満宮の飛梅の木で作られた菅公御神像を奉持し、太宰府から江戸に向かう途中、岡崎本陣中根甚衛門方に泊まりました。その夜、菅原信祐の枕元に菅原道真が現れ、「この岡崎の地に昔よりいいお社がある。そこに私を勧請しなさい。」と言いました。
その事を主人に伝えると「それはきっと北野の弓弦天神のことでしょう」と言い、この話を聞きつけた町中の人は大変感激しました。そして天神社の社殿を一新して菅公御神像を合祀し、岡崎天満宮と社名を改めました。

 

前回投稿した記事で紹介した八柱神社から歩いて岡崎天満宮に向かいます。

 

余談ですが、白山社の前に八柱神社をお参りして、その後に白山社、岡崎天満宮の順にお参りした方が良かったのですが、自分の確認ミスで白山社を先にお参りした為、白山社と八柱神社の間を往復する事になってしまいました。

 

岡崎天満宮の表参道入口に到着しました。

 

表参道の入口に建つ社号標です。

 

石段を上ると一の鳥居が建っております。

 

一の鳥居両脇に狛犬がおりました。

 

先に進むと二の鳥居が建っておりました。

 

二の鳥居の左手には神馬がおりました。

 

神馬の左手には西参道があり、鳥居が建っております。

 

こちらは西参道の鳥居の両脇にいる狛犬です。

 

こちらは西参道の入口です。こちらにも社号標が建っておりました。

 

こちらは二の鳥居後方の石段横にあった石碑ですが、書かれている文字は読めず。

 

こちらは同じく石段横にあった石碑です。こちらは「山神」と書かれるのが分かりました。

 

石段の上には小さな祠がありました。

 

石段を上ると参道の両脇に神牛がおりました。

 

参道左手の神牛の後方に手水舎があります。

 

水口は龍でした。

 

手水舎の後方にはしだれ桜があり、そばには菅公弌千年祭紀念碑と菅公御神忌千百年大祭記念碑が建っておりました。

 

手水舎の向かい、参道右手にいた神牛の後方には境内社があります。

 

こちらは英霊神社です。

 

英霊神社の社殿に掲げられている扁額です。

 

社殿の前に小さな水盤がありました。

 

英霊神社の右手には御鍬神社があります。

 

御鍬神社の鳥居の後方には百度石がありました。

 

鳥居をくぐり、石段を上ると社号標と小さな水盤がありました。

 

更に石段を上ると御鍬神社の社殿が見えてきました。

 

御鍬神社の社殿ですが、なんだかお堂っぽいですね。

 

社殿に掲げられている扁額です。

 

参道に戻り、先に進むと狛犬がおりました。

 

吽型の狛犬のそばには鷽塚がありました。

 

天満宮と言えば鷽ですね。

 

岡崎天満宮の拝殿です。

 

拝殿の屋根には鯉がおりました。

 

拝殿の下には滝を上る鯉がおりました。

 

こちらは拝殿のそばにありました菅原道真の幼少期の像です。5歳の時に詠んだ和歌が書かれておりました。

 

こちらは同じく拝殿のそばにありました夫婦道祖神です。

 

境内の西側には多数の石碑が見られました。

 

社殿の左手にある社務所で御朱印を頂きました。

 

 

ちなみに岡崎天満宮ではQR決済が可能だったので、初穂料をd払いで納めました。手持ちのお金が無くても納められるし、ポイントも貯まる。神社も小銭が溜まらないので一石二鳥ですね。

 

 

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