こんにちは、ロイヤル麦茶です。

今回紹介する神社は愛知県岡崎市矢作町宝珠庵にあります矢作神社です。

御祭神は素盞嗚尊、豊受大神、保食神。

日本武尊が東夷征伐の時に軍神として素盞嗚尊を祀り、広前で矢を矧いだ事から矢作神社と呼ばれるようになりました。
永保3年(1083年)源義家が陸奥守として奥州へ征伐に行く途中、日本武尊の故事にならって参拝したと伝えられております。
第一次世界大戦後、帝國軍艦矢矧の艦長以下船員一同の崇敬篤く、艦内に矢作神社の御分霊を奉斎して大祭を執行し、また、兵員一同正式参拝も行われ、矢矧の模型が奉納されました。

 

岡崎駅より愛知環状鉄道の列車に乗って中岡崎駅までやってきました。

 

中岡崎駅のそばにあるシェアサイクルのサイクルステーションより自転車を借りて、矢作神社に向かいます。

 

矢作神社の東側に流れている矢作川に架かる矢作橋を渡ります。

 

矢作橋を渡ると出合之像がありました。

 

日吉丸(後の豊臣秀吉)と小六正勝(後の蜂須賀小六)の出会いの場面を像にしております。

 

出合之像のそばには明治天皇御駐蹕之碑が建っております。明治元年(1868年)9月28日と12月16日に明治天皇がこの場で休憩されました。皇紀2600年記念の際にこちらの石碑が建てられました。

 

出合之像と明治天皇御駐蹕之碑から北へ上がります。

 

先に進むと鳥居が建っておりました。

 

こちらは八幡宮の鳥居です。

 

鳥居をくぐり、先に進むと八幡宮の社殿がありました。

 

こちらは社殿の前にいた狛犬です。

 

他には小さな水盤と力石がありました。

 

尚、八幡宮は矢作神社の近くにありますが、矢作神社との関係性は分かりませんでした。

 

八幡宮から少し北へ上がると矢作神社の入口があります。

 

入口には矢作神社の社号標が建っております。

 

先に進むと祠がありました。

 

こちらは祠の右側にありました石碑です。「宮」の文字は読めますが、他の字は読めず。

 

こちらは祠の左側にありました石碑です。「薬師社」と書かれてるかな…!?

 

祠の後方は庭園になっておりました。

 

庭園のそばには軍艦矢矧ゆかりの神社と書かれた石碑がありました。

 

こちらは庭園そばの境内入口です。

 

こちらの境内入口にも社号標が建っておりました。

 

先に進むと石燈籠と鳥居がありました。

 

鳥居をくぐり、先へ進みます。

 

こちらは手水舎です。

 

水口は龍でした。

 

手水舎の後方には山車の格納庫があります。見る事は出来ませんでしたが、山車は岡崎市の有形民俗文化財に指定されております。

 

こちらは格納庫の後方にありました表忠紀念碑です。

 

こちらは手水舎の右手にありましたが、神楽殿かな!?

 

こちらは祓所かな!?

 

こちらは日本武尊の像です。皇紀2600年を記念して建てられたそうです。

 

こちらは境内社の秋葉神社です。

 

秋葉神社のそばには伊勢両宮遥拝所があります。

 

こちらは秋葉神社の向かいにありました百度石です。

 

こちらは秋葉神社の右手にありましたが、詳細は分からず。神饌所かな?

 

矢作神社の拝殿です。

 

こちらは拝殿に掲げられている扁額です。

 

こちらは拝殿の前にいる狛犬です。

 

拝殿の左手前には竹やぶがあります。こちらは矢竹やぶで、由緒にもあるように日本武尊が矢を矧いだ事から矢作神社と呼ばれるようになりましたが、こちらはその名残だそうです。

 

矢竹やぶの中にはうなり石があります。新田義貞が足利尊氏と戦った際に矢作神社にお祈りをしたところ、石がうなり出したと言われており、神様のご加護と勇気づけられた新田義貞は戦に勝利したと伝えられております。

 

こちらは拝殿の左手にある社務所ですが、普段は無人だそうです。

 

拝殿には書置きの御朱印が用意されておりました。

 

宮司様のご都合が良ければ直書きをして頂けるとの事だったので、記載されている電話番号に連絡したところ、来て頂ける事になったので、宮司様が来られるまでしばらく境内で待ち、宮司様が来られた後、社務所に上がらせて頂きました。

 

御朱印の種類が多く、どの御朱印を頂いたら良いか悩んでいたところ、宮司様より日本武尊と御祭神の素盞嗚尊、代々の矢矧の印が入った

 

矢作神社で授与されているオリジナル御朱印帳を頂きました。二種類あり、呉の軍港から出港する矢矧が描かれた御朱印帳です。

 

御朱印は数種類あり、どの御朱印を頂こうかと悩みましたが、宮司様のアドバイスにより二体頂きました。

 

一体目は日本武尊の印が入った御朱印を頂きました。

 

二体目は御祭神である素盞嗚尊と初代となる防護巡洋艦の矢矧、二代目となる軽巡洋艦の矢矧、そして三代目となる護衛艦やはぎの印が入った御朱印を見開きで頂きました。

 

 

御朱印帳と御朱印を頂いた後、拝殿内にある奉納された矢矧の模型を見せて頂きました。

 

奉納されたのは大正10年(1921年)なので、作られてから100年以上経ってるんですね…って、物凄く当たり前な事を言っておりますね…。

 

 

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