こんにちは、ロイヤル麦茶です。

今回紹介する神社は新潟県新発田市諏訪町にあります新発田諏訪神社です。

御祭神は建御名方命、建御名方命 、藩祖溝口大祖源秀勝朝臣命。

大化4年(648年)に現在の新発田市聖籠町諏訪山に鎮座したのが始まりで、その後、現在の新発田市中曽根町に移され、新発田藩初代藩主・溝口秀勝が新発田城内に遷座しました。
寛永15年(1638年)3代藩主・溝口宣直が鍛冶町(現在の新発田市大手町)へ、4代藩主・溝口重雄が現在地に遷座しました。

新発田駅のすぐそばに鎮座しております。

 

新潟駅から白新線の列車に乗って終点の新発田駅までやってきました。

 

新発田駅から歩いて新発田諏訪神社に向かいます。

 

しばらく歩くと新発田諏訪神社の境内裏手に到着しました。

 

こちらから境内に入らず、表参道の入口に向かいます。

 

表参道の入口に向かう途中、南参道の入口があり、鳥居が建っておりました。

 

表参道の入口に到着しました。鳥居は建っておらず隋神門が建っておりました。

 

隋神門のそばには社号標が建っておりました。

 

隋神門をくぐり、参道を進みます。

 

参道の右手に手水舎がありました。

 

水口は龍でした。

 

手水舎の後方には松尾芭蕉の句碑がありました。恐らく「雲をりをり 人をやすめる 月見かな」と書かれていると思われます。

 

句碑の後方には奉祝御慶事紀念碑が建っておりました。

 

参道を進むと鳥居が建っておりました。

 

鳥居をくぐり、先に進むと右手奥に境内社がありました。

 

こちらは古峯神社になります。

 

扁額には「古峯大神」と「猿田彦大神」と書かれておりました。

 

こちらは古峯神社の右手にありました明治十年役 五十年招魂祭記念碑が建っておりました。明治十年役とはその年に起きた西南戦争の事を指していると思われます。

 

古峯神社の後方には神輿殿がありました。

 

参道に戻り、先に進むと御柱が一本建っておりました。

 

こちらは諏訪大社春宮の一之御柱です。

 

令和4年(2022年)の御柱祭の時に譲り受けたものになります。

 

御柱のそばには狛犬がおりました。

 

新発田諏訪神社の拝殿が見えてきました。

 

こちらは幣殿です。かなり大きいですね。

 

こちらは本殿です。

 

表参道の北には境内社が三社あります。こちらは厳島神社の鳥居です。

 

鳥居のそばには小さな水盤がありました。

 

こちらは鳥居の後方におりました狛犬です。

 

厳島神社の本殿です。

 

厳島神社の右手には五十志霊神社があります。新発田藩に功績があった人々や越後国新発田藩領中之島村の名主、大竹与茂七が祀られております。ちなみに大竹与茂七の子孫には女優の大竹しのぶさんがおります。

 

五十志霊神社の右手には稲荷神社があります。

 

稲荷神社の鳥居のそばには義民大竹与茂七没後三百年祭記念碑と与茂七辞世の歌が書かれた義民大竹与茂の碑が建っておりました。

 

鳥居をくぐり、石段を上ります。

 

石段を上ると稲荷神社の社殿がありました。

 

稲荷神社の右手には大きな御神木が立っております。

 

御神木の下には久米幸太郎追頌碑があります。

 

 

こちらは社務所の近くにありました昭和天皇御製の歌碑です。終戦時に詠んだ「身はいかに なるともいくさ とどめけり ただたふれゆく 民をおもいて」と書かれております。

 

持参している新潟県の神社用御朱印帳が埋まりそうだったので、新発田諏訪神社で授与されている御朱印帳を頂きました。

 

最初のページに新発田諏訪神社の御朱印を書いて頂きました。

 

2ページ目には御祭神、藩祖溝口大祖源秀勝朝臣命の御朱印を書いて頂きました。

 

 

 

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