こんにちは、ロイヤル麦茶です。

今回紹介する神社は新潟県新潟市中央区東堀通にあります日和山住吉神社です。

御祭神は表筒男命、中筒男命、底筒男命。

慶安元年(1865年)に水戸教を代々務めていた伊藤仁太郎が自宅に祀っていた住吉の神を日和山に遷したのが始まりです。
明治13年(1880年)の大火で焼失しましたが、翌年には再建されております。

水戸教(みときょう)の「水戸」は水路の事で、水戸を教える…いわゆる水先案内をする人達の事を新潟では水戸教と呼んでおりました。江戸時代半ばから伊藤仁太郎家が務め、近代的な港湾の整備により水深が安定する昭和初期まで続いたそうです。

水戸教が行われてた日和山の山頂に鎮座しております。

 

前回投稿した記事で紹介した白龍大権現をお参りした後、本町通五番町バス停からバスに乗車します。

 

日和山住吉神社の近くにある本町通十四番町バス停で下車しました。

 

バス停から歩いて日和山住吉神社に向かいます。

 

小高い山が見えてきました。

 

 

日和山の麓に到着しました。明治13年の大火の後、海寄りの砂丘の高台に新日和山が開かれ船見櫓が移され、こちらの日和山は旧日和山と呼ばれるようになったそうです。

 

階段を上ります。

 

階段の途中に石碑がありました。

 

こちらは越海津梁碑です。「越海津梁」とは海を越える為の手引き(案内)をするという意味で、水戸教を代々務めた伊藤家の七代目、仁太郎の顕彰碑になります。

 

こちらは海難者招魂之碑です。明治32年(1899年)12月、越佐汽船(現在の佐渡汽船)の第四度津丸が粟嶋沖で暴風の為に運転不能となり、漂流の末、上海府(村上市)付近で大破し、船長らが犠牲となりました。こちらの碑は犠牲者を慰霊する為に翌年に建てられました。

 

階段の途中にはベンチもありました。

 

階段の上には注連柱が建っておりました。

 

注連柱をの右手に水盤がありました。明治17年(1884年)に奉納されたものだそうです。

 

水盤のそばには方角石があります。明治24年(1891年)に奉納されたものです。尚、こちらの方角石が奉納される前に江戸の絵師、長谷川雪旦の「北国一覧」にも描かれている方角石がありましたが、新日和山に移された後、海岸決壊でなくなったそうです。

 

注連柱の左手には松の木が立っております。「北国一覧」にも描かれておりますが、現在の松が何代目にあたるかは分からないそうです。

 

住吉神社の社殿前に到着しました。

 

こちらは社殿に掲げられている扁額です。

 

山頂から海の方を見てみましたが、海は見えませんでした。櫓があれば見えたかな!?

 

社殿には大麻やお守り、絵馬などの授与品が用意されておりました。

 

書置きの御朱印も用意されておりましたが、近くにあります開運稲荷神社で御朱印帳に書いて頂く事も出来ます。

 

今回は御朱印帳に書いて頂く為、社殿横の石段を下り、開運稲荷神社に向かいました。

 

開運稲荷神社で日和山住吉神社の御朱印を書いて頂きました。お参りした日が一粒万倍日だったので、一粒万倍日の金印が入っております。

 

 

 

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