こんにちは、ロイヤル麦茶です。

今回紹介する神社は富山県射水市戸破の戸破加茂社です。

御祭神は賀茂別雷命、天照皇大神、豊受皇大神、建御名方命、高靇神、闇靇神、市杵嶋姫命、 宇迦御靈神、大宮賣命、猿田彦命、大名牟遲神。

倉垣荘に鎮座していた二十二社の加茂社のうちの一つで、戸破加茂社はその総社とも言われております。

貞享2年(1685年)には高岡城下の稲荷社の関伊豆守が神主として加賀藩へ届け出している「御領国寺社来歴書」に戸破加茂大明神の名が見られます。また、同じ神主が奉仕していた高岡関野神社の祭礼「高岡御車山祭」を模した神輿渡御が戸破加茂社でも始められ、現在も春季祭礼に行われている母衣武者行列の起源となってます。
大正から昭和の初めにかけて戸破地区の神社を合祀し、昭和18年(1943年)には郷社に昇格しました。

あいの風とやま鉄道の小杉駅から歩いて10分ほどの所に鎮座しております。

 

前回投稿した記事で紹介した下村加茂神社をお参りした後、加茂コミュニティ施設前バス停から射水市のコミュニティバス「きときとバス」の小杉駅・下経由足洗線のバスに乗車しようとしましたが、バスが来るまでしばらく時間がある上、持参していた飲料を飲み干してしまったので、自動販売機を探す事にしました。

 

下村コミュニティセンターの近くにある体育館の玄関に自動販売機があったので、そちらでスポーツドリンクを買いましたが、暑さで水分を欲していたのか、一気飲みしてしまいました。その後、下村コミュニティセンター前バス停の時刻表を確認したところ、小杉駅・下経由足洗線のバスは加茂コミュニティ施設前バス停を通過する前にこちらを通過する事が判明したので、加茂コミュニティ施設前バス停には戻らず、こちらでバスが来るのを待ちました。

 

しばらくバスに揺られ、新町バス停で下車しました。

 

新町バス停から南へ下ります。

 

しばらくすると、戸破加茂社の境内北側に到着しました。

 

境内の北側には弁財天社があります。

 

弁財天社は池の上に鎮座しております。

 

戸破加茂社の表参道入口に到着しました。

 

こちらは境内南側の参道入口に建っている鳥居と社号標です。境内南側の参道は駐車場と繋がっております。

 

表参道を南参道の合流地点には手水舎があります。

 

センサーがあるようで、近づくと水口から手水が出てきました。水口は龍ですが、二頭おりました。

 

手水舎の向かいには藤棚があります。

 

藤棚の後方には神馬(の像)がおりました。

 

神馬の横には競馬(くらべうま)神事が行われる馬場があったそうです。

 

馬場は杉並木になっておりましたが、昭和36年(1961年)の第二室戸台風によって倒れてしまったそうです。

 

参道を進むと二の鳥居が建っておりました。

 

二の鳥居の手前には伝承碑がありました。説明書きによると、戸破加茂社の本殿そばにあった稲荷社を合祀した時に大石燈籠が奉納されましたが、老朽化と授与所新築に伴い解体されたそうです。大石燈籠を奉納された方の芳名が書かれた銅板が貼られておりました。

 

二の鳥居をくぐり、先へ進みます。

 

参道の左手に鬼瓦がありました。

 

拝殿の屋根にあったもののようです。

 

参道には二組の狛犬がおりました。

 

戸破加茂社の拝殿です。

 

拝殿に掲げられている扁額です。

 

こちらは幣殿と本殿です。

 

幣殿の横には水盤がありました。

 

こちらは境内の東側にある社務所です。

 

社務所には母衣武者展示室が併設されておりますが、シャッターが閉じられておりました。

 

境内の北側、弁財天社の隣には加賀藩旧本陣座敷があります。

 

大正13年(1924年)に戸破加茂社の境内に移されたそうです。

 

戸破加茂社の御朱印です。社務所は普段無人の為、近くにあります十社大神で頂く事が出来ます。

 

 

 

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