こんにちは、ロイヤル麦茶です。

今回紹介する神社は長野県千曲市八幡の武水別神社です。

御祭神は武水別大神、誉田別命、息長足比売命、比咩大神。

詳しい創建年代は分かりませんが、社伝によると武水別大神は考元天皇(紀元前214年~156年)の御代に御鎮斎と伝えられております。
安和年間(968年~970年)に京都の石清水八幡宮より誉田別命、息長足比売命、比咩大神が勧請されております。
延喜式神名帳には名神大社と記載されており、三代実録によると貞観2年(860年)に従五位下、貞観8年(866年)に従二位の神階を受け、貞観9年(867年)に官社に列したとあります。
明治時代に入ると郷社に列せられ、明治41年(1908年)には県社に昇格しました。

しなの鉄道線屋代駅の南西に鎮座しており、近くには千曲川が流れております。

 

北陸新幹線に乗車して長野駅まで移動した後、しなの鉄道線の列車に乗って屋代駅までやってきました。

 

千曲市と隣の上田市ではシェアサイクルの社会実験が行われておりました。

 

これを利用しない手はありません。

 

屋代駅そばにある駐輪場にポートがありました。ドコモバイクシェアですね。

 

自転車を借りて武水別神社へ向けて出発です。

 

屋代駅から武水別神社までは大体4kmくらいなので、電動アシスト付自転車であれば楽勝ですね。

 

千曲川の上に架かる橋を渡ります。

 

橋を渡った後、少しだけ千曲川沿いを走ります。

 

大きな鳥居が見えてきました。

 

武水別神社の一の鳥居は表参道入口の手前の車道上に建っておりました。

 

一旦一の鳥居を通過し、近くにあるシェアサイクルのポートに自転車を返却します。

 

表参道に戻ります。

 

表参道の入口には太鼓橋がありました。

 

こちらは表参道の入口に建っている社号標です。

 

表参道入口付近には社号標のほかにも石碑がいくつか見られました。

 

こちらは芳名碑です。

 

こちらは武水別神社八幡宮嗽水と書かれた石碑です。昔はこの辺りに手水舎でもあったのでしょうか!?
 

こちらは上水道完成記念碑です。

 

こちらは電燈です。

 

そばには電燈を寄附した方々の芳名が書かれた石碑がありました。

 

こちらは大鳥居再建碑です。

 

参道を進みます。

 

参道の左手に小さな祠が三宇並んでおりました。

 

こちらは秋葉社になります。

 

尚、真ん中の祠は鹿島社になります。

 

秋葉社の右手には御輿休処があります。

 

神輿休処の左手前には百度石がありました。

 

こちらは神輿休処の右手にあります高良社です。

 

高良社の本殿です。

 

高良社の右手にはお茶処があります。近くにありますホテルが運営しているようです。

 

更に参道を進みます。

 

武水別神社の社叢は長野県の天然記念物に指定されているようで、参道脇に石碑が建っておりました。

 

こちらは手水舎です。

 

水盤には蓋がされておりましたが、注ぎ口から手水が出ていたので直接清める事が出来ました。

 

手水舎の後方には「川中島の戦い 初戦の地八幡」と書かれた石碑がありました。川中島の戦いで第一次合戦の八幡の戦いは武水別神社の周辺で行われたそうです。

 

こちらは手水舎の向かいにありました総代会館です。

 

参道を進むと二の鳥居が建っておりました。

 

こちらは二の鳥居のそばにおりました狛犬です。

 

二の鳥居をくぐり、参道を進みます。

 

参道の右手に御社殿屋根銅板葺替完成記念碑が建っておりました。

 

参道左手のトイレの近くには道祖神が祀られておりました。

 

トイレの手前にも境内社がありました。

 

向かって左側にあるのは疱瘡社になります。

 

真ん中にはあるのは神武天皇社になります。

 

向かって右側にあるのは酒造祖社になります。

 

こちらは先ほど紹介した三社の後方にありました宝蔵です。

 

こちらは宝蔵のそばにありました石碑です。向かって左側は御馬出敷石寄進の記念碑です。右側の石碑はところどころ文字が欠けて読みづらかったですが、恐らくこちらも御馬出敷石寄進の記念碑ではないかと思われます。

 

参道を進むと勅使殿がありました。

 

勅使殿の右手には額殿がありました。

 

勅使殿の後方に武水別神社の拝殿があります。

 

拝殿の正面中央には拝殿と書かれた扁額が掲げられておりました。

 

正面右手には太太御神楽と書かれた扁額が掲げられておりました。

 

こちらは武水別神社の本殿です。

 

本殿の左手前にはさざれ石がありました。

 

こちらは拝殿の真後ろにありました百度石です。

 

こちらは本殿の右手にありました御新宮です。

 

御新宮の後方には八剱社がありました。

 

八剱社の扁額です。

 

こちらは八剱社のそばにありましたが、水盤でしょうか。

 

こちらは八剱社の左手にありました宿祢社です。

 

宿祢社の左手には目洗石がありました。

 

武水別神社の本殿の後方にも境内社が並んでおります。

 

こちらは駒形社です。

 

こちらは荒神社です。

 

こちらは十二神社です。

 

こちらは天神社です。

 

こちらは子安社です。

 

こちらの祠は向かって右側から御嶽社、金刀比羅社、東照宮、妙義社になります。

 

こちらは祠の左手に建っておりました石碑です。一番上には「夜燈」と書かれており、下には芳名が書かれておりました。

 

こちらは御供所です。

 

大きな絵馬や額が掲げられておりました。

 

こちらは御供所のそばにありました鬼瓦です。武水別神社の社殿もしくは他の建造物に使用されていたのでしょうか。

 

こちらは社務所のそばにありました滝壺の石です。そばにあった由緒書きによると、奉納された時期は不明ですが、養和元年(1181年)源氏の武将、木曽義仲が平家軍との合戦に臨んで戦勝を祈願した際、祈願文を奉持した使者が石に湛えられていた雨水で具足の汚れを洗い清めてから神前に額突いたと伝えられております。

こちらは同じく社務所のそばにありました社務所新築竣工記念碑です。

 

 

こちらは武水別神社の本殿左手にあります祭儀所です。いわゆる授与所・祈願受付所になります。

 

武水別神社で授与されている御朱印帳を頂きました。「夕焼け」と「夜」の二種類があり、今回は夕焼けを頂きました。こちらは長野県の神社用御朱印帳にしようと思います。

 

最初のページに御朱印を書いて頂いております。

 

 

武水別神社を後にし、屋代駅に戻りますがちょうど屋代駅行きの千曲市循環バスが武水別神社のそばにバス停を通過するので、バスで屋代駅に戻りました。

 

 

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