こんにちは、ロイヤル麦茶です。
今回紹介する神社は奈良県大和郡山市稗田町の賣太神社です。
御祭神は稗田阿礼命、天宇受賣命、猿田彦神。
詳しい創建時期は分かりませんが、聖徳太子が推古天皇より賜った兵庫県揖保郡太子町の播州斑鳩寺地管理の為、太子ゆかりの深い当地の稗田氏族が多数派遣され、祖神を祀る賣太神社を分祀し、後に稗田神社として奉斎されております。
延喜式神名帳には「大和国添上郡賣太神社」と記載されており、文禄4年(1595年)稗田検地帳によると、若宮・八王寺など数々の摂社もあり、当時は社域規模が広壮であった事が記されております。
大和路線(関西本線)郡山駅の南東にある稗田環濠集落の中に鎮座しております。
賣太神社の前を大和郡山市のコミュニティバスが通っておりますが、運行しているのは平日のみで、この日は休日だったので賣太神社まで歩いて向かう事にしました。
郡山駅の近くにある踏切を渡ろうとしたところ、王寺方面へ向かう列車が走り抜けていきました。
踏切を渡り、大和路線の線路から離れると、再び王寺方面へ向かう列車が走っていきました。
賣太神社まであと700m…。
佐保川を渡ります。
続いて佐保川の横を流れる地蔵院川を渡ります。
賣太神社まであともう少しです。
こちらは稗田環濠集落の周囲を囲む環濠です。
柵が無い所があるので、酔っぱらった状態で歩くのは怖いですね…。
賣太神社の社叢が見えてきました。
先に進むとコミュニティバスのバス停があります。こちらが賣太神社最寄りのバス停となります。
本数は少なめです。
薬園八幡神社を出発してから20分ほどで賣太神社の前に到着しました。
鳥居の右手前に社号標が建っておりました。
鳥居をくぐると正面に社務所がありました。
参道を進みます。
こちらは参道脇に建っていたかたりべの碑です。
御祭神の稗田阿礼は「語り部の神様」「語り部の祖」とされており、毎年8月16日に阿礼祭が行われますが、こちらは阿礼祭50回を記念して建てられたものになります。阿礼祭が始まったのは昭和5年(1930年)になるので、かたりべの碑は昭和55年に建てられたものでしょう。
こちらは阿礼祭記念碑です。「第一回」と書かれていたので昭和5年の阿礼祭が行われた時に建てられたものと思われます。
こちらは句碑になります。
「言霊の 景には秋なし神の森 小波」と書かれております。こちらは昭和10年(1935年)の第五回阿礼祭の際に建てられたものになります。
こちらは手水舎です。
柄杓が用意されておりました。
水口は龍でした。
賣太神社の拝殿前に到着しました。
拝殿の前には御神木が立っておりました。
こちらは御神木のそばにありましたが、祓所でしょうか。
小さな狛犬がおりました。
拝殿の左手には鏡池があります。
奥に進むと鏡池がありました。
お参りを済ませた後、社務所で書置きの御朱印を頂きました。
御朱印を頂いた後、近鉄郡山駅に戻りますが、残念ながらこの日はバスが運休なので、歩いて近鉄郡山駅へ向かいます。
お昼過ぎには雨に降られましたが、雲が大分取れて青空が広まってました。
こちらは用水路の上を通るパイプですが、小さい子供の時だったら渡ろうとしただろうなぁ…。
大和路線の郡山駅の近くに到着しました。賣太神社の行き来でまあまあの距離を歩いているので、こちらから列車に乗ってホテルに帰りたいところですが、ホテルは大和西大寺駅の近くにあるので、乗るのは止めました。
更に10分ほど歩き、賣太神社から歩く事30分ほどで近鉄郡山駅に到着しました。さすがに疲れた…。
この後、近鉄橿原線の列車に乗ってホテルに帰りました。
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