こんにちは、ロイヤル麦茶です。

今回紹介する神社は奈良県磯城郡田原本町多の多坐弥志理都比古神社です。

御神祭は神武天皇、神八井耳命、神沼河耳命、姫御神、太安万侶。

社伝によりますと、神武天皇の皇子、神八井耳命が当地を訪れて「…我、天神地祇を祀る…」と言った事が多坐弥志理都比古神社の始まりとされております。
延喜式神名帳では「大和国十市郡 多坐彌志理都比古神社二座」と記され、名神大社に列せられております。
古くは春日宮と称しており、現在の社領地は約1万㎡余を有しておりますが、大和志料によると天文21年(1552年)当地の領主、十市遠勝より周囲6町四方の土地(約42万㎡)を寄進されたとあり、四方に鳥居があったそうです。
明治時代に多村の郷社に列格し、大正12年(1923年)には県社に昇格しました。

一般的には多神社と呼ばれております。

 

大和西大寺駅から近鉄橿原線の列車に乗って田原本町駅までやってきました。

 

駅の近くにある観光案内所で借りた自転車に乗って多坐弥志理都比古神社へ向かいます。

 

田原本町の中心部よりひたすら南へ下ります。

 

飛鳥川の横を走ります。

 

多坐弥志理都比古神社の西参道入口に到着しました。ちなみに写真の左側に円墳の神武塚があります。立ち入りできないかと思いましたが、立ち入り可能である事を後から知りました。

 

表参道の方へ周ります。

 

表参道の入口に到着しました。

 

参道入口に建つ社号標です。木製の社号標は珍しいかも…?

 

参道を進みます。

 

先に進むと小さな橋がありました。

 

先に進むと右手に境内社がありました。

 

こちらは竈神社になります。

 

竈神社の先には祠が三宇並んでおりました。向かって右から石上神社、春日神社、住吉神社になります。

 

鳥居の前に到着しました。実はこちらは二の鳥居で、一の鳥居は多坐弥志理都比古神社から東へ約800mの所に建っております。

 

二の鳥居をくぐり、先へ進みます。

 

こちらは参道の右手にあります忠魂碑です。

 

忠魂碑の先にも境内社がありました。

 

こちらは熊野神社になります。

 

 

熊野神社の右手にも境内社がありました。

 

こちらは社名が書かれておらず、詳細は分かりませんでした。

 

熊野神社の先に手水舎がありました。

 

柄杓は見当たらず、手水も出ておりませんでした。

 

水口は龍でした。

 

こちらは手水舎の先にありました境内社です。

 

こちらも社名が分かりませんでした。

 

境内社の左手には歌碑がありました。こちらは川田順の歌碑で、「この臣の 編みし古ふみ 神国の 證(あかし)となりて とこしへに伝ふ」と書かれております。多坐弥志理都比古神社を訪れた時に詠んだ歌になります。

 

 

川田順の左手にも石碑がありました。

 

こちら句碑で「神の庭 大和の國の 初明り」と書かれておりました。詠み人が「冨澤佳嶺佳鳳」と書かれておりましたが、詳細は分からず。

 

多坐弥志理都比古神社の拝殿前に到着しました。

 

拝殿前にいる狛犬です。

 

本殿は改修工事が行われているようで、シートが被せられておりました。尚、本殿は一間社春日造が4棟並ぶ四殿配祀形式となっているそうです。

 

拝殿の左手には資料館がありました。普段は公開されていないっぽいです。

 

こちらは拝殿に併設されている授与所ですが、扉が閉まっておりました。

 

境内西側にあります宮司様宅で書置きの御朱印を頂きました。見る事が出来なかった本殿を御朱印で見る事が出来ました。

 

 

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