こんにちは、ロイヤル麦茶です。
今回紹介する神社は群馬県安中市鷺宮の咲宮神社です。
御神祭は健経津主命、大己貴命、保食命。
安閑天皇元年(534年)6月、初の申の日に神石「雷斧石」三柱の出現を仰ぎ、時の朝廷に上奏したところ、奉幣使・磯部朝臣小倉季氏と共に高椅貞長、峯越旧敬を伴い上毛野国に下向し、抜鉾(ぬきほこ)大神「健経津主命」を祀り、社殿を建てました。以降、磯部朝臣が祭司を司り、敏達天皇元年(572年)、第3代磯部朝臣小倉邦祝は磯部郷小崎の里に居を構え、以降小崎を名乗りました。
白鳳元年(650年)、第11代小崎邦平は神託により抜鉾大神を神楽の郡(甘楽郡)蓬丘菖蒲谷に遷座。
供奉の道筋では七五三原(しめきはら)でまず神事があり、明戸坂で夜明けがあり、宇田で御旅所となり御遷宮されました。これが現在の一之宮貫前神社になります。
磯部郷前宮(さきのみや)跡は先の宮として崇め、咲前神社が祀られました。この時に改めて香取神宮より経津主大神を勧請し、大己貴命と保食命が祀られました。以後、祭祀を藤原姓和太氏が司りました。
平安朝後期に成立したと思われる「上野国神名帳」には、「碓氷郡 従五位上咲前明神」と記され、御分霊として「片岡郡従五位上咲前明神」の名が見られます。
応永8年(1401年)1月7日、足利満兼により新田庄平塚郷一町が寄進されております。
於菊稲荷神社を除き、前回まで紹介してきた人見大宮神社から羊神社までの本務社になります。
羊神社をお参りした後、歩いて咲前神社へ向かいます。
乗合タクシーに乗りたいところですが、しばらく来ない為、ここは頑張って歩いていきます。
周りは畑が広がっておりました。
車は多く行き交っておりましたが、歩いている人は自分以外おりませんでした。
しばらくすると乗合タクシーの五賀停留所がありました。
先程まで畑が広がっておりましたが、集落に入ったのか家が多く見られるようになりました。
先に進むと東横野公民館停留所に着きました。余談ですが、この時、物凄くトイレに行きたくてかなりピンチでしたが、すぐそばに公衆トイレがあったので事なきを得ました。
東横野公民館停留所から先へ進むと道が二又に分かれておりましたが、左手の道に入ります。
しばらく東へ進んでおりましたが、二又の道から先は北へ上がります。
中野谷神社から羊神社までは地下かったので大した距離を歩いておりませんが、羊神社から咲前神社までは結構離れているので、三日連続で長距離を歩く事に。尚、車を持っている人は自分のように苦労する事なく巡れるのでご安心ください。
しばらく北へ上がると咲前神社の社叢が見えてきました。
先に進むと咲前神社の鳥居が建っておりましたが、こちらは境内の南東に建つ鳥居で、表参道の鳥居ではありません。
もう少し北へ上がると表参道の入口があります。
鳥居の左手には石碑がありました。句碑だと思いますが、書かれている文字は読めま
せんでした。
鳥居をくぐり、石段を上ります。
石段の途中に社号標が建っておりました。
石段を上ると狛犬がおりました。
狛犬の先に手水舎がありました。
柄杓はありませんでしたが、直接清められるようになっておりました。
手水舎のそばには鯛がおりました。
こちらは参道の左手にあります神楽殿です。
咲前神社の拝殿前に到着しました。
拝殿前には令和5年の干支、ウサギ(卯)の置物がありました。
こちらは拝殿に掲げられている扁額です。「鷺宮大明神」と書かれておりました。
拝殿の両脇には根子石がありました。小石を乗せて願をかけると願いが叶うと言われております。
こちらは幣殿と本殿です。
拝殿の右手には絹笠神社があります。養蚕に従事する方々の信仰の対象とされております。尚、群馬県は養蚕が盛んで、その中でも特に碓氷・安中地方は特に盛んな事で知られております。
覆屋の中に蛇の木像があります。咲前神社には白い蛇がいると言われており、養蚕を始める前に白い蛇を借りて家に帰ると蚕の天敵、ネズミを退治してくれるそうです。
こちらは絹笠神社の社号標です。
絹笠神社の後方には厄割石があります。
厄割石に厄割桃を投げつけ、厄落としをします。
こちらは咲前神社の拝殿左手にあります鷹巣神社です。先日紹介した安中市板鼻の鷹巣神社を本社としております。
鷹巣神社の左手奥に鳥居が見えたので行ってみます。
鳥居の前に到着しました。こちらは稲荷神社になります。
鳥居をくぐり、先へ進むと稲荷神社の祠があります。
祠の前には小さな水盤がありました。
水盤の両脇には神狐がおりました。
稲荷神社の隣にも鳥居が建っておりました。
鳥居をくぐると小さな祠がありました。こちらも稲荷神社でしょうか。
こちらは拝殿のすぐそばにあります授与所です。
授与所で御朱印を頂きました。月替わりの見開き御朱印の授与も行われておりましたが、今回は頂いておりません。
こちらは境内社、絹笠神社の御朱印です。蚕の幼虫の印が入っております。
オリジナル御朱印帳の授与も行われておりますが、今回は頂いておりません。ただ、今思うとオリジナル御朱印帳を頂いて、咲前神社と兼務社の御朱印で埋め尽くせば良かったかな。
人見大宮神社から続いてきた(途中、於菊稲荷神社を挟みましたが)咲前神社と兼務社の紹介は今回で終了となります。三日に渡り19社巡りましたが、自分のような巡り方は正直おススメできません。やっぱり車で巡るのが一番良いですね。ただ、車を停める場所が無い神社(鷹巣神社と飽馬神社)がありますのでご注意ください。
御朱印を書いて頂いた後、咲前神社を後にし、乗合タクシーの停留所に向かいました。
東横野公民館停留所より磯部駅に向かう乗合タクシーに乗車します。
しばらくタクシーに揺られ、磯部駅北口に戻ってきました。
二日前に磯部駅を訪れた時には気づきませんでしたが、磯部駅前のロータリーには恐妻碑がありました。群馬県と言えば「かかあ天下」で有名ですね。
日本最古の温泉記号発祥の地の石碑もありました。当時の地図に載っていた記号が描かれております。磯部詩碑公園で石碑を撮り逃しておりましたが、磯部駅前にも石碑があり、無事撮影する事が出来ました。
咲前神社と兼務社巡りは終わりましたが、この後、もう少しだけ神社を巡ります。
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