こんにちは、ロイヤル麦茶です。

今回紹介する神社は群馬県高崎市榛名山町の榛名神社です。

御祭神は火産霊神、埴山姫神、水分神、高靇神、闇靇神、大山祇神、大物主神、木花開耶姫神。

綏靖天皇の時代に饒速日命の御子、可美真手命父子が山中に神籬を立て天神地祇を祀ったのが始まりといわれ、用明天皇元年(586年)に祭祀の場が創建されたと伝えられております。
延長5年(927年)完成の延喜式神名帳に上野国十二社として位置づけられており、古くから神仏習合が定着し、山中には9世紀ごろの僧坊とされる巌山遺跡があります。
近世には東叡山輪王寺宮兼帯所となり、榛名山巌殿寺・満行宮と称しておりましたが、 明治3年(1870年)5月10日に榛名山取締に命ぜられた新居守村の神仏分離により仏教色が廃され、榛名神社の社号に復しました。

赤城山・妙義山と共に上毛三山の一つとされる榛名山の神を祀る神社です。

 

高崎駅から群馬バスの榛名山行きのバスに乗車し、榛名神社バス停で下車しました。

 

来た道を少し戻ると大鳥居が建っておりました。

 

榛名神社の大鳥居ですが、榛名歓迎ゲートタワーの愛称が付けられておりました。

 

榛名歓迎ゲートタワーをくぐり、坂道を上ります。

 

坂道をしばらく上り続けると社号標が建っておりました。

 

参道の入口に到着しました。

 

鳥居をくぐり、参道を進みます。

 

参道上にある橋を渡ります。

 

橋の先には随神門が建っております。

 

元は二王門でした。

 

随神門は国指定の重要文化財となっております。

 

尚、隋神像は修復中の為、見る事は出来ませんでした。

 

随神門の右手には石碑や祠などが見られました。

 

こちらは毘沙門天の像です。榛名神社の境内各所に七福神の像があります。

 

こちらは歌碑ですが、書いている文字は読めませんでした。

 

こちらの石碑も書いている内容が分かりませんでした。

 

ちょっと高い所に小さな祠がありました。場所的に祓所と言ったところでしょうか!?

 

こちらは随神門の後方にありました榛名神社緑地環境保全地域紀念の標です。

 

いつ頃かは分かりませんが、榛名神社の周辺は群馬県自然環境保全条例に基づいて指定されているようです。

 

参道脇には石段がありましたが、どこへ続いて行くのかは分かりません。

 

参道を進むと寿老人の像がありました。

 

寿老人の像は禊橋の付近にあります。

 

参道の右手には榛名川が流れております。

 

まだまだ参道は続きます。

 

先に進むと榛名神社代参五十周年記念太々御神楽之碑が建っておりました。

 

榛名川の向こう側に石垣がありました。

 

榛名川の向こう側に鞍掛岩がある事を示す看板がありました。

 

石垣の上にある岩が鞍掛岩かな?

 

どんどん先へ進みます。

 

参道の右手にどこかへと続く道がありましたが、榛名川に繋がってるのかな?

 

参道脇に梵字が書かれた石燈籠がありました。梵字はあまり詳しくないのですが、ネットで調べたところキリクに近いと思いますが…どうでしょうか!?

 

参道を進むと左手に鳥居が見えてきました。

 

こちらは秋葉神社の鳥居です。秋葉神社までは山道を上る必要があるそうです。

 

登山用の靴を履いていない上、熊が目撃されたとの事だったので、秋葉神社へ行くのは断念しました。

 

参道を先へ進むと右手に石碑がいくつか見られました。

 

こちらは東京太々講年参五十周年記念碑です。

 

こちらは東京太々講年参二十五周年記念碑です。昭和12年(1937年)5月建立と書かれていたので、先ほどの五十周年記念碑は昭和37年(1962年)に建てられたものと思われます。

 

東京太々講年参七十五周年記念碑が建っております。昭和62年(1987年)5月に建てられております。

 

記念碑のそばには東京太々講の由来と階段手摺奉納者芳名が書かれておりました。

 

こちらは大牧榛名講代参碑です。

 

こちらは布袋の像です。

 

多くの方がお腹を撫でるのか、お腹の色が変わっておりました。

 

参道を進むと仏像がありましたが、首元に継ぎ目がありました。

 

参道を進むと右手に休憩所がありました。

 

休憩所の中から下を流れる榛名川を見る事が出来ます。

 

休憩所の向かい側には御神水が流れ出ておりました。

 

授与所にあります御神水開運おみくじを浸す場所となっているようです。

 

尚、お水取りは境内全域で禁止となっておりました。

 

見終わった御神水開運おみくじはそばにある廻運燈籠に納め、燈籠を廻すと運が廻るとの事です。

 

尚、廻運燈籠のそばには水琴窟があり、竹筒を通して水滴が落ちる音を聞く事が出来ますが、お参りした日は利用期間外だった為、聞く事は出来ませんでした。

 

御神水のそばには幸手市権現堂榛名講中代参登山150年記念碑と上鷺宮北原講中参拝百八拾年記念碑がありました。

 

記念碑のそばには福禄寿の像がありました。

 

福禄寿の像の先にある玉垣は江戸時代の豪商、塩原太助が奉納した玉垣だそうです。

 

尚、石段の右手には榛名湖や番所跡、松露庵句碑へと続く道があります。

 

関東ふれあいの道 首都圏自然歩道と名付けられているようです。

 

首都圏自然歩道へは進まず、石段を上り参道を先へ進みます。

 

参道を進むとみそぎ屋がありました。お参りした時は営業しておりませんでしたが、お茶屋さんでしょうか?

 

参道の左手に朝日岳と夕日岳と書かれた看板がありました。

 

看板の後方にありましたこちらは朝日岳、夕日岳どちらでしょうか…!?

 

参道を先へ進むと小さな祠がありました。

 

詳細は分かりませんでした。

 

参道を進むと三重塔が見えてきました。

 

三重塔の手前には句碑がありました。「宇三郎」という方の句のようですが、詳細が分かりませんでした。

 

こちらは個人の方が奉納された石碑かな?

 

三重塔の手前にある石段を上ります。

 

石段を上ると狛犬がおりました。

 

吽型の狛犬の後方に三重塔が建っております。

 

群馬県唯一のもので、明治2年(1869年)に再建されたものです。現在は神宝殿と呼ばれ、天之御中主神をはじめ、五柱の神が祀られております。

 

三重塔の向かいには恵比須の像がありました。

 

恵比須の像の隣には奉納神楽舞衣 年参五拾年記念碑がありました。

こちらは三重塔の隣にありました末社再建御遷宮記念碑です。

 

参道を進むと鳥居が建っておりました。

 

鳥居の左手には御廰宣の碑が建っております。影で見えづらいですが、建久元年(1190年)に健児(こんでい(奈良時代から平安時代における地方軍事力として整備された軍団)、検非(けび(非違(不法、違法)を検察する天皇の使者))両使の停止を許可する許文の碑になります。

 

鳥居の右手にありましたこちらは古谷トマト F1 種子特産之碑です。昭和9年(1934年)に東大農学部の学生、古谷春吉が当地のトマトの種子を入手して、地元農家の人々と協力し、トマトの種子を交配させて「古谷トマト」の元祖となるトマトを作ったそうです。

 

トマトの石碑というのも珍しいですね。

 

こちらは鳥居をくぐった先にありました石碑です。詳細は分からず。

 

こちらは東京葛飾青龍講の石碑です。

 

こちらは東京ブラシ講のハケブラシ塚です。ハケとブラシのお塚を見たのは初めてかな。そして東京ブラシ講なんてあるんですね。

 

こちらは東京ブラシ講参拝拾五周年記念碑です。

 

こちらの石碑はよく分かりませんでした。

 

こちらはハケ、ブラシ、筆、感謝焼納所です。結構納められておりました。

 

ハケブラシ塚の先は落石除けのシェッドが設置されておりました。

 

岩が若干飛びている箇所がありました。

 

参道脇のくぼみに祠がありました。

 

こちらは塞神社になります。

 

寒いのでつららが出来ておりました。

 

シェッドを抜けると行者渓神橋が架かっておりました。

 

先に進むと扉がはめ込まれている岩がありましたが、こちらは東面堂で、千手観音が安置されている所に扉をはめ込んだそうです。

 

参道を進むと辨才天の像がありました。

 

辨才天のそばには小さな祠と水盤がありました。

 

それにしても思った以上に遠いな…。

 

参道を進むと萬年泉がありました。農村で日照りが続いた時にこちらから御神水を竹筒に入れて、祈願を受けた後に田畑に撒けば必ず霊験があると伝えられておりました。

 

今も水は湧き出てるのかな?

 

萬年泉のそばには萬年泉碑がありました。高崎市の指定重要有形民俗資料となっております。

 

萬年泉そばにある石段を上ります。

 

石段を上った所に小さな祠がありました。

 

先に進むと手水舎がありました。

 

柄杓はありませんでしたが、直接清められるようになっておりました。

 

手水舎の右手、榛名川の奥には瓶子の滝が流れておりました。

 

滝つぼは若干凍っておりました。

 

手水舎の向かいには矢立杉が立っております。

 

石段を上ります。

 

石段の途中に神幸殿がありました。

 

石段を上った所に神門が建っておりました。

 

神門をくぐると左手に歌人、関橋守の歌碑がありました。ただ、達筆すぎて読めませんでした。

 

 

参道を先へ進みます。

 

参道の左手に百度石がありました。

 

先に進むと石段がありました。

 

石段の上には双龍門が建っております。

 

門には彫刻が施されておりましたが保護の為、ガラスで覆われておりました。

 

双龍門を鉾岩があり、その下に小さな祠が三宇ありました。尚、鉾岩を撮っておりませんでした。

 

石段を上ります。

 

石段を上ると神楽殿がありました。

 

神楽殿の横には像がありましたが、こちらは何の像でしょうか!?

 

長い参道を進み、ようやく榛名神社の拝殿前に到着しました!!…と言いたいところですが、榛名神社の社殿は改修工事中で、その姿を見る事は出来ませんでした。

 

改修工事中は榛名神社の社殿左手にある国祖社でのお参りとなります。

 

国祖社の手前には鉄燈籠がありました。

 

お参りを済ませ、案内にしがたい先に進むと杵築社がありました。

 

榛名神社の社殿後方に御姿岩がありますが、残念ながら写真を撮っておりませんでした。

 

御姿岩のそばには小さな祠がいくつか見られました。

 

案内に従い、石段を下ります。

 

石段を下り、授与所の方へ進むと小さな祠と水盤がありました。

 

授与所の向かいには大黒天の像がありました。

 

大黒天の像の右手には小さな祠がありました。

 

授与所で榛名神社のオリジナル御朱印帳を頂きました。御朱印帳は二種類ありますが、拝殿と御姿岩、行者渓神橋が描かれたものを頂いております。

 

頂いた御朱印帳に御朱印を書いて頂きましたが、1ページ目と2ページ目は伊勢神宮外宮・内宮の御朱印を書いて頂いて下さいとの事で、今回は3ページ目に書いて頂きました。

 

御朱印帳と御朱印を頂いた後、まだお昼ご飯を食べていなかったので、参道入口付近にありましたお店でお昼ご飯を食べました。

 

お昼ご飯を食べた後、榛名神社前バス停よりバスに乗って帰りました。

 

東京都内から榛名神社までの移動の様子をYouTubeにアップしております。自分のような公共交通機関を利用している方の参考になればと思いますので、よろしければご覧ください。ただし、今回は交通費を節約しているので、あまりあてにならないかも…!?

 

 

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