こんにちは、ロイヤル麦茶です。

今回紹介する神社は山梨県甲斐市篠原の山縣神社です。

御祭神は江戸時代中期の学者、思想家の山県大弐
 
山県大弐は現在の甲斐市篠原生まれで、故郷で学んだ後、京都で医術のほか儒教などを学びました。一時期故郷に帰りましたが、その後江戸に渡り、大岡忠光に仕えました。忠光死後に職を辞して私塾「柳荘」を開き、儒学や兵学を教えました。
明和3年(1766年)門弟の諜反の疑いがあると徳川幕府に密告され、明和4年(1767年)に逮捕され、門弟とともに処刑されました。(明和事件)
明治13年(1880年)の明治天皇山梨御巡幸の際、県令(知事)に山県大弐の功績を称える祭典執行を命じ、祭祀料20円を賜りました。その後、大正8年(1919年)に山縣神社奉建会が設立され、大正10年(1921年)に山県大弐の墓所があった金剛寺の隣に社殿が造営されて、神社が創建されました。

 

石和温泉駅から中央本線の下り列車に乗車します。

 

特急かいじに乗車したいところですが、この日は青春18きっぷを利用しているので、特急列車は乗車できません。

 

かいじが出発した後、普通列車の甲府行きが入線してきたので乗車します。

 

終点の甲府駅に到着しました。

 

甲府駅10時58分発の松本行きの列車に乗り換えます。

 

甲府駅の隣、竜王駅で下車しました。駅舎はかなり近代的な造りになっております。それにしても、かっこいい駅名ですね。

 

竜王駅の南口には山県大弐の像がありました。

 

像の左手には山県大弐の著書や甲斐市関連の史誌などのオブジェ、さすり石があります。

 

像の右手には顔はめパネルがありました。

 

竜王駅から歩いて山縣神社へ向かいます。

 

竜王駅から南へ下ると甲州街道の交差点があります。

 

交差点から東京方面へ進みます。

 

山縣神社の近くで甲州街道から脇道に入ります。

 

脇道をしばらく進むと山縣神社の境内が見えてきました。

 

竜王駅から歩いて20分ほどで山縣神社の社前に到着しました。

 

一ノ鳥居前に社号標が建っております。

 

一ノ鳥居をくぐると左手に手水舎があります。

 

手水が出ておりましたが、水盤の前にロープが掛けられておりました。ただ、使用禁止である旨の注意書きは見当たりませんでした。

 

尚、手水舎は国の登録有形文化財となっております。

 

手水舎の後方には以前、民俗資料館がありましたが、無くなっておりました。別の場所に移転されたのでしょうか。

 

こちらは民俗資料館跡の隣にありました報賽附言碑です。

 

参道を進みます。

 

参道の左手奥には山県大弐の墓があります。こちらの他に茨城県石岡市の泰寧寺、東京都新宿区舟町の全勝寺にも墓があるそうです。

 

山県大弐の墓の後方には山縣家の墓碑があります。

 

向って右側が供養塔、真ん中が野沢豊後源昌樹の墓碑、左側が山縣大弐の祖父母の墓碑です。

 

こちらは全て先祖の墓碑(小祠)です。尚、山県大弐の父母の墓は甲府市丸の内の竜華院にあるそうです。

 

参道を進むと狛犬がおりました。

 

狛犬の後方には橋が架かっております。

 

橋を渡ると参道右手に神楽殿があります。

 

神楽殿の右後方に筆塚があります。

 

神楽殿の左後方には三井甲之の歌碑があります。

 

参道左手には山県大弐の像があります。

 

山県大弐の像の後方には忠魂碑と句碑らしき石碑がありました。

 

二ノ鳥居前に到着しました。

 

二の鳥居の先に山縣神社の拝殿が鎮座しております。

 

拝殿に掲げられている扁額です。

 

こちらは幣殿です。

 

こちらは本殿です。

 

拝殿の右手にあるこちらは神輿庫だと思われます。

 

こちらは参道右手、手水舎の向かいにあります社務所です。

 

社務所で御朱印を頂きました。社名は印判となっております。

 

お参りを済ませ、御朱印を頂いた後、歩いて竜王駅に戻りました。

 

 

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