こんにちは、ロイヤル麦茶です。
北京オリンピックが開催されておりますが、微妙な判定が多く、見ていて興ざめしてしまいます…。
それではお参りした神社を紹介します。今回紹介する神社は埼玉県白岡市白岡の白岡八幡神社です。宇都宮線(東北本線)白岡駅の西に鎮座しております。
御祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后。
嘉祥2年(849年)に慈覚大師円仁により勧請したと伝えられております。
白岡八幡神社に伝えられている略縁起によると、康平5年(1062年)に源義家が奥州討伐の途中、戦勝祈願のために立ち寄ったと記されており、建久6年(1195年)源頼朝は佐々木四郎高綱を代参させ、土着武士の鬼窪某に命じて社殿を造営させるとともに、百余貫の所領を寄進し、源家の守護神として崇めたと伝えられております。
白岡八幡神社をお参りする為、宇都宮線の列車に乗車し、最寄り駅の白岡駅までやってきました。
白岡駅西口の前には車站之碑があります。白岡駅開業時に建てられたようです。
車站之碑横の脇道より歩いて白岡八幡神社を目指します。
脇道の突き当りに朝日バスのバス停がありましたが、バス停の名前が商店街と、非常にシンプルでした。
商店街バス停より西へ進みます。
しばらく進むと、鳥居が見えてきました。
白岡八幡宮の一の鳥居前に到着しました。
一の鳥居右手には社号標が建っております。
一の鳥居をくぐった所に石碑が建っております。
鳥居が再建された事を記念して建てられたもののようです。
更に先へ進みますが、こちらは一般道となっており、車通りが結構多いので通行するのに注意が必要です。
白岡八幡神社の社頭に到着しました。
二の鳥居の下には百度石があります。
二の鳥居の向かい側に駒つなぎの杉があります。由緒にもあるように、康平5年に源義家が奥州討伐の途中、戦勝祈願の為に白岡八幡神社へ立ち寄った際、駒を繫いだと伝えられております。大正3年(1914年)と大正5年(1916年)の落雷により倒木してしまったそうです。
二の鳥居をくぐると、左手に手水舎があります。
水盤には花が浮かんでおりました。
手水舎の前には安全かえるの像がありました。
参道の右手には石碑と力石がありました。
参道を進むと白岡八幡神社の拝殿が鎮座しております。
拝殿に掲げられている扁額です。
こちらは拝殿手前にいる狛犬です。
拝殿の右手には御神木のカヤが立っております。
カヤのそばには神楽殿があります。
拝殿の右手より社殿の周りを巡ります。
少し奥へ進んだ所に神馬神社があります。
神馬神社の右手には鐘楼がありました。撞いて良いか分からなかったので、今回は撞いておりません。
白岡八幡神社の本殿が見えてきました。
先へ進むと白岡天満神社があります。東京の湯島天満宮より御分霊を勧請したそうです。
神牛と筆塚もありました。
こちらは白岡天満神社の左手にある三峯神社です。
三峯神社の左手には日枝神社があります。
日枝神社の左手には稲荷神社があります。
稲荷神社の左手には猿田彦社があります。
尚、白岡天満神社から猿田彦社の後方には遊歩道があります。
遊歩道の途中には休憩所があります。
遊歩道には小高い山があったので上ってみましたが、頂上には何もありませんでした。
こちらは境内の北側にあるお焚き上げ場です。
こちらは白岡八幡神社の社殿左手にある社務所です。
社務所の裏手は日本庭園になっておりますが、綺麗に撮れておりませんでした。
社務所へ伺い、白岡八幡神社で授与されているオリジナル御朱印帳を頂きました。
最初のページに御朱印を書いて頂いております。