こんにちは、ロイヤル麦茶です。
担当していた仕事に追いつけなくなってしまい、他の担当になる事となりましたが、そっちもそっちで覚えるのが大変そうです…。
それではお参りした神社を紹介します。今回紹介する神社は福井県三方上中郡若狭町気山の宇波西神社です。小浜線気山駅の西側に鎮座しております。
御祭神は鵜草葺不合尊。
大宝元年(701年)、日向浦に創建され、3月8日に上野谷(現在の国立福井病院官舎付近)に遷された後、大同元年(806年)3月8日に現在地に鎮座されました。
前回紹介した若狭彦神社の下社から東小浜駅に戻り、自転車を返却しました。東小浜駅より若狭彦神社に向かう時は曇っておりましたが、東小浜駅に戻ってきた時には雲一つない快晴となりました。
敦賀行きの列車に乗車します。
しばらく列車に揺られ、宇波西神社最寄りの気山駅で下車しました。一面一線のホームで、駅舎は無くホーム上に待合室があるのみです。尚、左手に写っているのはトイレで、右手に写っているのはクリーニング屋です。
気山駅より歩いて宇波西神社に向かいます。
気山駅からしばらく歩くと社号標が建っておりました。
小浜線の線路をくぐります。
線路の真下を見る事が出来ますが、列車が通過する時にはかなり迫力があるのではないでしょうか。
線路をくぐると左手に歌碑がありました。「いしにへゆ 親しまれ来し 松並木 消えたるあとの そらの広さよ」と書かれおります。
線路の先は参道になっておりましたが、こちらは昔、松並木だったのでしょうか。
先に進むと行方久兵衛翁顕彰碑があります。
三好宗八氏顕彰碑もありますが、こちらはどのようなお方か分かりませんでした。
顕彰碑のそばにある橋を渡った先に、鳥居が建っているのが見えました。
車が来ない事を確認し、道路を渡って一の鳥居手前に到着しました。
一の鳥居右手には王の舞堂があります。王の舞は4月8日の例祭時に田楽、獅子舞、浦安の舞と共に演じられ、宇波西神社の神事芸能として国の選択無形民俗文化財に指定されております。
王の舞堂のそばには舞手の銅像があります。
王の舞堂の向かいにあるこちらは詳細が分かりませんでした。
王の舞堂の隣には手水舎があります。
水口が鵜でした。御祭神の鵜草葺不合尊は豊玉姫が海辺で鵜の羽などを葺草に混ぜて産殿の屋根を葺いていたが、出来上がらないうちに誕生した事からその名が付けられたと言い伝えられている他、日向地区に下記の伝承がある事から鵜ではないかと思われます。
日向地区の伝承によると、漁師の六郎右衛門が湖で漁をしていると一羽の鵜が現れ、「湖の底に高貴なお方がおられ、救いを求めている」と言いました。鵜に連れられて湖に入っていくと湖底に宝刀があったので自宅に持ち帰り、神棚に祀りました。すると六郎右衛門の夢の中に鵜草葺不合尊が現れ、自分を上瀬の畔に祀るように告げ、自分の国の名である日向をこの村の名にするよう言ったと伝えられております。
手水舎のそばに小さな神橋がありますが、橋を渡る事は出来ない状態となっておりました。
先に進むと二の鳥居が建っており、後方に拝殿が鎮座しております。
拝殿には雨風や雪から拝殿を守る為か、このような囲い(?)が施されておりました。
案内に従い、拝殿の横を通ると拝所がありました。
拝所の彫刻です。
拝所手前の狛犬はなかなか年季が入っております。
拝所の左手に御神木の大杉が立っております。若狭彦神社下社ほどの大きさではありませんが、こちらもなかなかの大きさです。
思いっきり大杉が被っておりますが、拝所と本殿も囲いが施されておりました。
本殿の左手に境内社が鎮座しております。
こちらは小美多麻社です。こちらの社殿は昭和16年(1941年)から終戦の昭和20年(1945年)までの間、国立福井療養所にありましたが、終戦後に社殿が不要となった為、療養所より譲り受けました。氏子さん達の御霊が祀られております。
こちらは八幡神社です。
多数の神々が合祀されております。
こちらは本殿の右手にある猿田彦大神の石碑です。
こちらは二の鳥居左手にある儀礼殿です。
二の鳥右手に第二氏子会館があります。という事は、王の舞堂の向かいにあるのは第一氏子会館なのでしょうか!?
こちらは授与所です。御朱印を頂こうとするも、どなたもいらっしゃらなかったので、電話して確認しようとしたところ、後方のご自宅から神職の方(恐らく宮司様)がタイミングよくいらっしゃったので、御朱印をお願いしました。
頂いた御朱印です。