こんにちは、ロイヤル麦茶です。明日、再び遠出をするのですが、今日は遅くまで仕事をしなければなりません。寝る時間あるかな…。
それではお参りした神社を紹介します。今回紹介する神社は埼玉県飯能市吾野の我野神社です。西武秩父線の西吾野駅の南東に鎮座しております。
御祭神は天之御中主神、建御名方神、日本武尊。
景行天皇40年(110年)、日本武尊が東征の際に吾野の地を通行し、天之御中主神を勧請し、仲哀天皇5年(196年)11月に御諸別王が平安を祈り、建御名方神と日本武尊を祀り、三社(みやしろ)大明神と呼ぶようになりました。
明治元年(1868年)9月に現在の社名に改称されております。
前回紹介した秩父御嶽神社より歩いて我野神社に向かいます。
国道299号線に出ました。
東武秩父線の橋梁をくぐります。
この日は暑かったので、国道299号線の横を流れる高麗川に飛び込みたくなりました。
歩行者は全くおりません。自分だけです…。
暑い中を黙々と歩きますが、このような風景が見られると報われた感じがします。
尚、この辺りは急カーブが多いので車で通る際はスピードの出し過ぎに注意しなければなりません。
先に進むと「是より三社」と書かれた石碑が建っておりました。由緒にもあるように我野神社の旧社名から名付けられた地名だと思われます。
途中、国道299号線から外れ、橋を渡った先に休暇村奥武蔵がありました。ホテルですが、ログハウスに泊まる事も出来ます。
休暇村奥武蔵の横を通ると、朝日稲荷神社の本社登拝口前にたどり着きました。山の上に鎮座しているようですが、秩父御嶽神社の奥宮まで上ったので、これ以上体力を消耗するのは良くないと思い、鳥居前から遥拝しました。
高麗川に架かる木板の橋を渡ります。
高麗川の岸にあったこちらは何でしょうか!?注連縄に紙垂が付いていたので、我野神社に関係するものでしょうか!?
橋を渡り、坂を上ると我野神社の鳥居が見えてきました。
我野神社の社頭に到着しました。
社頭に建つ社号標は小さめです。
鳥居をくぐり、参道を進みます。
参道の左手に手水舎があります。
手水は出ておりませんでした。
手水舎の向かいにあるこちらは神楽殿でしょうか。
拝殿に掲げられている扁額です。
こちらは本殿です。
本殿には見事な彫刻が施されております。
本殿の横には輪切りにされた「猪狩りの大もみ」との幹がありました。
我野神社の社殿後方には天神社・疱瘡社、稲荷社、山神社・弁戈天社、白山社が鎮座しております。
我野神社社殿左手には磯前社が鎮座しております。
拝殿の前に歌碑(句碑?)がありましたが、達筆過ぎて読めず。
こちらは磯前社のそばにある源頼朝の歌碑です。こちらも達筆ですが、源頼朝の名前だけ辛うじて読めました。
拝殿前には書置きの御朱印が用意されておりました。
持参した御朱印帳に書いて頂けないか確認する為、手水舎のそばにある社務所へ伺いましたが、どなたもいらっしゃいませんでした。社務所の玄関には不在の時は社殿右手にある宮司様宅へ伺うよう書かれていたので、宮司様宅へ伺いました。
宮司様がいらっしゃったので御朱印帳に書いて頂けるかお話ししたところ、快く書いて頂きました。
御朱印を頂いた後、裏参道より境内を後にしました。
国道299号線沿いには社号標が建っておりました。