東京オリンピックが終わったと思ったら今度は夏の高校野球甲子園大会が始まります。自分の出身地代表は大抵序盤で敗退してしまいます。今回は序盤で敗退しないよう、頑張って欲しいです。

 

それではお参りした神社を紹介しますが、前回まで群馬県前橋市駒形町に前橋駒形神社の兼務社を紹介しましたが、今回は本務社となる前橋駒形神社を紹介したいと思います。両毛線駒形駅の南東1.5km強の所に鎮座しており、近くには北関東自動車道の駒形インターチェンジがあります。

今回はレンタサイクルを利用して山王日枝神社から前橋駒形神社へ向かいました。

○御祭神
保食命、大己貴命、大物主命、菅原道真公、伊弉那岐命、伊弉那美命、火雷命、武御名方命、須佐之男命 

○由緒
当神社の鎮座するこの地は、古くは利根川本流の西岸に位置し、広漠たる原野の中に駒形社一社のみあり、駒形大明神(こまがただいみょうじん)と称していました。
ご祭神は「保食命(うけもちのみこと)」で、食物農耕守護の神として信仰されていました。上野名跡考では『駒形とは、野の神・山の神・水の神・土の神の他社より浄き土を採り駒形を造り、野馬守護のためこの四神を祀る』と誌されております。境内は馬蹄形をなし源頼朝の愛馬「磨墨(するすみ)」の蹄と伝えられるものが御神体の一部にあります。
「上野国群村誌(こうずけのくにぐんそんし)」によると、勧請年月は元亀元年(一五七〇年)と伝えられています。
神仏混淆(しんぶつこんこう)(神道と仏教が合体した信仰)の時代は、天台宗泉蔵寺に属していましたが、慶安年間(一六五〇年)頃、社殿を改築し「別当 山伏修験本明院(やまぶししゅげんほんみょういん)」として駒形の氏神として祀られるようになりました。
宝暦七年(一七五二年)にも社殿を改築し、現在の社殿は明治三十八年(一九〇五年)に新築したものです。
明治四十年十二月、本社境内末社三社(八坂社(やさかしゃ)・稲荷社(いなりしゃ)・秋葉社(あきはしゃ))並びに町内字高島鎮座 琴平神社(ことひらじんじゃ)とその末社四社(八坂社(やさかしゃ)・稲荷社(いなりしゃ)・秋葉社(あきはしゃ)・菅原社(すがわらしゃ))及び町内字桃井鎮座の雷電神社(らいでんじんじゃ)とその境内末社三社(八坂社(やさかしゃ)・三峰社(みつみねしゃ)・諏訪社(すわしゃ))を駒形神社に合併しました。
大正三年十月九日群馬県より神饌幣帛共進(しんせんへいはくきょうしん)神社に指定され村社となり、昭和二十七年十二月、宗教法人駒形神社となりました。その後、平成十七年十月、社殿新築百年祭の記念事業が盛大に行われました。
(前橋駒形神社ホームページより)

 

〇社号標

県道104号線沿いに建っております。

 

〇一の鳥居

県道104号線から北に入った脇道に建っております。

 

脇道を先に進みます。

 

〇二の鳥居と社号標

二の鳥居が見えてきました。

 

二の鳥居付近にはソメイヨシノがいくつかあり、満開となっておりました。

 

二の鳥居の両脇に社号標が建っております。

 

〇狛犬

参道脇にあります。

 

〇手水舎

新型コロナ対策として狐の水口からは手水が出ておりません。新たに作られた両脇の水口から手水が出ており、竹半割を伝ってきた手水で直接手を清めるようになっておりました。

 

〇拝殿

参道を真っすぐ進むと拝殿が鎮座しております。

 

拝殿の扁額です。

 

拝殿の手前に神馬像があります。

 

〇境内社

前橋駒形神社の社殿右手に駒形伏見稲荷神社があります。大正9年(1920年)に当時の神職が京都の伏見稲荷大社より御分霊を勧請したそうで、こちらの本殿は元々、前橋駒形神社の本殿でした。


前橋駒形神社の社殿左手には八坂神社、天神様、三峰神社、大國様があります。

 

手水舎の後方には御嶽山三柱大神碑や天照皇大神碑、小さな祠があります。

 

前橋駒形神社の本殿後方には道祖神や小さな祠が多数並んでおりました。

 

〇御朱印

二の鳥居向かいにある宮司様宅で頂いております。デザインは定期的に変わるようです。

 

こちらは境内社 駒形伏見稲荷神社の御朱印です。

 

 

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