その後も、NICU(赤ちゃんのICU)に入っているので、3時間に一回ぐらいのペースで夫に車いすのまま連れて行ってもらい娘を5分程見るようにしていました。夕食後、夫が一旦家に帰ろうとした時でした。看護師さんが来て先生からお話があるので来てくださいと。娘のところに行ってみるともう子ども用の機械では限界だそうで大人の呼吸を補助する機械を使っているとのことです。そして、もう命の限界が近いと。

そうこうしているうちに心拍が止まってしまい、お医者様が指で心臓マッサージをしてくださいました。最後に機械や管をはずして抱っこしますか?と言ってくださいました。その時初めて自分の娘を抱っこしました。娘は2カ月早く生まれたにしてはずっしりと重かったです。生まれて1日半の短い命でした。この時は本当に涙が止まりませんでした。

看護師さんのお取り計らいでこの日は個室にしてもらえました。この晩は娘と私が一緒のベットでその下に夫が寝てくれて初めて3人一緒の部屋で寝ました。

娘の治療にあたってくれた小児科の先生の言葉がとても印象的でした。

「赤ちゃんは親を選んで生まれてきます。きちんと最後まで見てくれる人を選びます。あなた達はこうやってきちんと最後までお世話をしてあげてとても立派だと思います。」

当時もとてもうれしい言葉でしたが、今になって思い出してみてもやっぱり嬉しい言葉です。

娘が生きられなかった病気は胎児水腫というそうです。ふつうは血液型がRH-のお母さんっだったり、妊娠中にリンゴ病にかかったりすると赤ちゃんがこの病気になることが多いそうですが、私の場合は原因不明でした。原因不明ということが余計になんで??という思いを強くさせました。

何年か前に本で見たので、正確ではないかもしれませんが、日本では妊娠、出産でなくなるお母さんの数は10万人に7人程度、赤ちゃんの方は1000人に3人ぐらいだったと思います。昔はもっと高い確率だったけれど医療の進歩でここまで少なくなりました。しかもこの数字は世界で見ても少ない方です。お母さんの死亡率はまだ減らせる可能性はあるけれど赤ちゃんの死亡率はこれが限界に近いと書かれていました。

このブログを読んでくださっているかたの中にも赤ちゃんを亡くされた方がいるかもしれません。どうかご自身を責めないでください。

つらい事だけど、事実をそのまま受け入れて欲しいです。その事実をどう受け止め、これからどう感じて生きていくかはあなた次第だと思います。これからどう生きたいのかを考えてみてください。

私も最初はつらくて街で見かける親子をみると涙が出てきたことも何度もあります。でも3年近くたった今はうちの娘は病気で1日半しか生きられなかった。事実はそれだけ。そう思えるようになりました。私にとってそのことは悲しい事ではあったけれど、私の人生、娘の人生全てが不幸な訳でもないし、これからも私の人生は不幸ではありません。今は、私は娘に選んでもらえて幸せです。と言えるようになりましたラブラブ

人生初の手術というだけでも不安なのに、そのうえ赤ちゃんが元気ではないというダブル不安です。 手術中、麻酔科の先生でしょうか?ずっと手を握ってくれていました。(半身麻酔だったので意識はずっとありました。)

その日はじめて会った先生だったのにすごく心が落ち着いたのを覚えています。

医療って技術だけではなく、人の温かみも必要なんだとあらためて実感しましたラブ

手術自体は順調で30分もすると赤ちゃんが生まれました。でもすぐに赤ちゃんの呼吸を確保しないといけないので赤ちゃんを見ることはできませんでした。先生たちは「おめでとうございます。1230分女の子ですよ。」と言ってくださったのですが、私としては麻酔も効いてるし、赤ちゃんも目に見えないし、もちろん呼吸も不安定なので鳴き声も聞こえないし、なにも実感はありませんでした。

私の手術は無事に終わって部屋に戻ると、-先生の説明を聞いた夫によると、なんとか呼吸の管は通ったものの危ない状態とのことでした。

その日の夜に私のところに先生が赤ちゃんの写真を持って病気の説明に来てくれました。

予定日より2カ月も早く生まれたにしては、娘はとても丸い顔をしていて口に通された管がなければ元気そうに見えました。でも先生の説明によると状況は良くなく、今は安定しているけれど今夜か明日がヤマだと言われました。覚悟はしていたもののかなりショックでしたが、前日2日間ほとんど寝ていなかったのでその夜は寝てしまいました。と言ってもやっぱり1時間ごとに目は覚めていましたが汗

次の日の朝、6時頃看護師さんが来て、「赤ちゃん見に行きますか?」と言ってくださいました。もちろん行きたいと言うとベットのまま、NICU(赤ちゃんのICU)まで連れて行ってくださって初めて我が子を見ました。娘は写真で見たよりもっといっぱいの管とか点滴とかで体中につながれていました。手術後間もないので私もベットのままだったので娘の足しか触れなかったのですが、小さい足はあったかくて生きてくれていることが嬉しかったですハート

このころから赤ちゃんは何のためにうまれてくるのかなぁ?。と考えています。スピリチュアルの江原さんが前にTVでおっしゃっていたのですが、子どもは15歳までは親を成長させるためにうまれ、生きているそうです。


うちの子は本当に私にいろいろな事を教えてくれました。元気に産まれるってすごいことなんだ。とか、前よりも人に対してやさしく接せられるようになったし、前だったら、耐えられなくって途中で投げ出してたことも自分の子をなくしたことに比べれば、平気になったし、人間としてずいぶんたくましくなりました。本当に娘には生まれてくれてありがとうと言いたいです。


もし、あなたがお子さんを亡くされて悲しんでいるのなら思いっきり悲しんだあとはお子さんはあなたに何を教えてくれたのか考えてみてはいかがですか?赤ちゃんはきっとあなたの元気な姿を見たいじゃないかなぁ。

入院生活2週間たった日の土曜の夜、突然の看護師さんの言葉にショック。。


娘の心臓の音が弱っていたらしいのです。「赤ちゃん元気そうだけど、ときどきしんどくなってるみたいなので、詳しくみるモニターつけますね。」モニターは別室ということで部屋移動。そこではおなかにモニターの機械をつけ、腕にはおなかの張りどめの点滴をすることに。赤ちゃんの事は不安だし、身体も自由に動かせずその日はほとんど一睡もできませんでした。

日曜日になってもモニターは外せず。さらに明日、帝王切開になるかも知れないとのこと。まだ予定日より2カ月も早いのに。。。ほんとにこの2日は身体もこころも疲労しました。

結局月曜日の朝、主治医の先生に赤ちゃんが弱っているから外に出して治療をした方がいいといわれました。自力で産まれてくるには赤ちゃんがたぶん持ちこたえられないだろうから帝王切開が安全。でも、帝王切開で生まれても胸に水がたまっているから自分で息ができない。で、のどに管をとおして酸素を送らないといけないけれど、まだ身体が小さいのでその管が通るかどうかが分からない。かといってこのままおなかの中にいても胸の水は多くなってきているし、全身もむくんできてしんどそうだと。帝王切開するか、このままもう少し様子を見るかどちらか選んでくださいと。

夫とも相談して、結局2時間後の12時~手術することに。

この日から、たまたま夫は1週間、夏休みをとっていました。偶然かもしれませんが、赤ちゃんは自分で生まれてくる日を決めるのかなぁと思いました。きっとうちの子はお父さんつまり私の夫の事が大好きだったんだと思います。実は私が入院するちょっと前夫は夏休みに富士山に登ろうとしてたのですが、私は初めての妊娠で不安だったのであんまり行ってほしくなかったのです。(それが私の入院もあり結局行かなかったのですが。。)勝手な解釈ですがうちの娘は夫を引きとめたかった。そして休みの日に生まれようとしていたのかもしれません。こう考えるとお母さんのおなかに宿るのも、無事に産まれてくるのも、生まれる前に天国に帰ってしまうのも、生まれてから天国に帰ってしまうのも全部赤ちゃんの意思かもしれませんね。

私が頑張ってどうこうできるものではないみたいです。だから自分のできることをした後は天にお任せの気持ちでいいんだと思うようになりました。娘が天国に帰って行ったのは誰のせいでもないんだから、その事実を受け入れるだけでいいんだと思います。

私は今、2人目の子どもの妊娠を目指しています。2人目を欲しいと思った最初の時は、絶対妊娠するぞ!と思ってそれがプレッシャーになっていたのかもしれません。ホルモンバランスが崩れたようで生理が来なくなってしましました。「天におまかせ」で良いんだと気づくまで2年もかかってしまいましたが、今はそのおかげか、薬なしでホルモンバランスは戻ってきたようです。


もし、赤ちゃんが欲しいのにまだ妊娠しない。あ~今月もダメだった。。と思っている方がいれば、自分ができることさえしたなら後はいつ赤ちゃんが来てくれるのか赤ちゃんの意思にまかせてみませんか?私も待っています音譜