Cecil Beaton (1904-1980)
私が好きな写真家ドキドキ

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「マイ・フェア・レディ」の衣裳デザインは
セシル・ビートンってご存知でしたか?

この映画の衣装は
ジヴァンシーと思っていた方が多いと思いますが、
実は映画のクレジットには、
衣裳デザイン担当に
ジヴァンシーの名前はないのですえっ

映画の台詞の中に、
イライザの衣装代を負担するピカリング大佐が
「今度は、
   フランス人のデザイナーが作った
   舞踏会用のドレスを着るので、
   仕上がりが心配だ」
     というシーンがひらめき電球



その台詞の後に、
イライザ(オードリー・ヘプバーン)は、
ティアラ
ネックレス
純白のパーティドレス
という王女のような出立ちで、
ヒギンズ邸の階段を降りてきます流れ星

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この素敵なドレスが
ユベール・ド・ジヴァンシーが、
オードリーの為に提供したドレスキラキラワンピースキラキラ 

たぶんそれで
そう思われたのかなと思いますひらめき電球



セシル・ビートンは、
ロンドンの裕福な上流階級の家に生まれ、
幼い頃より母や姉たちが見ていた
グラビア誌の写真に目を奪われていました。


11歳のときに祖母が買い与えてくれた
コダックのハンドカメラで写真を始め、
それ以降写真を撮ることに
夢中になってしまいますキスマーク

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名門パブリックスクールを卒業して
ケンブリッジ大学の
セントジョンズ・カレッジで学ぶセシルに
父は銀行家になることを薦めましたが、
結局彼は長年憧れ続けた
写真家になる道を選びましたアップ



彼はファッション雑誌
『ヴォーグ』や
『ヴァニティ・フェア』
   で活躍。


グレタ・ガルボや
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マリア・カラス
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オードリー・ヘップバーン

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マリリン・モンロー
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といった、
ハリウッド女優のポートレートを
たくさん撮影していますわんわん



世界的ファッション誌のモード写真家となって、
美しい衣裳で着飾った美女たちに囲まれて
華々しく活躍するセシル・ビートンに、
同業のプロ写真家や舞台関係者に
強く嫉妬され妬まれたそうです。

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彼は、
自分の気品や才能は生まれついたもので、
常にアマチュアの心を忘れず、
既成の概念にとらわれない独自の思想を持った
アウトサイダーなのだという自覚があり、
確固とした自分を持ち続けましたアップ


そして、
そんな才能を衣装デザイナーとしても
才能を発揮流れ星

1964年の華麗な衣装のオンパレードの
『マイ・フェア・レディ』では
アカデミー賞衣裳デザイン賞を受賞されました恋の矢

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なんといってもセシル・ビートンといえば、 やはり英王室における宮廷写真家としての 
地位を確立した事キラキラ虹キラキラ



その名前にナイトの称号を得た
サー・セシル・ビートンは、
華麗にして、
そして最後の宮廷写真家と呼ぶにふさわしい
素晴らしい人物でだったと言われています黄色い花

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彼が唯一望みが叶わなかったことは
グレタ・ガルボとの恋だけだそうえっ
(グレタ・ガルボと一緒に歩いているお写真カメラ)
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この写真は1945年に撮影された
王女時代のエリザベスII世キラキラ王冠2キラキラ

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”華麗”の一言に尽きますねキラキラブーケ1キラキラ