前回のブログでも記載した通り
三筆「嵯峨天皇、空海、橘逸勢」に関する
先生のお話を
チノポス・書道史に沿って
御衣黄の覚書から、記します。

 

*詳細が気になった方は

著書やYoutubeを探して

拝見してくださいね。

 

因みに、題の日付は学んだ日です。

よろしければ、お付き合いくださいませ。

 

参照youtube

「超速!日本文化史の流れ~書道史~」

「竹内の書いて覚える~書道史篇~」

 

・橘逸勢と空海の出逢い

 

二人は、同じ遣唐使船に乗っていた。

共通の趣味(書道)を持っていた為、馬が合った。

 

そりゃー、そう、でしょうね。

御二人とも、極める領域に

達していますからね。

もはや、芸事です。

 

・・・。

 

当時、書体には

王義之流、顔真卿流…等、様々あった。

船の長旅中、二人は語り合ったであろう...


・遣唐使船の謎

 

遣唐使船は、4隻で、航海する。

大体、2隻は沈没することになっている。

 

・遣唐副使「小野篁」...最後の足搔き...

 

小野篁は、遣唐使船を見た瞬間

「こんなボロい船は嫌だ!」と騒ぎ

到頭、出航の当日、バックれた。

当然だが...流罪に処された。

「死ぬよりはマシ!」と考えた結果である。

 

・小野篁の家系

 

先祖→小野妹子

子孫→小野小町

 

あの百人一首の参議篁である。

 

昼間は

参議(国務大臣)として、朝廷にお遣えする。

 

夜間は

六道の辻の井戸から閻魔王朝に行き

閻魔大王に、お遣えしていた。

 

と、今日迄、語り継がれている。

 

信じるか、否かは、読者様次第ですね。

 

・・・。

 

お読みいただいた方、ありがとうございます✨

 

 

こちらのブログでも

【小野篁】に触れていたのですね。

 

色々ありましたが

京都旅、良かったです...しみじみ...

その節はありがとうございました!

 

・・・。