前回迄のブログに
洲崎遊廓追善供養歌碑が
東陽一丁目第2公園(当時:警視庁洲崎病院 跡)に
鎮座している...
と記載しました。
*詳細が気になる方は、もしよろしければ...
現在は、都営住宅(建築年度 昭和44年)
が建っております。
この碑の前で
洲崎パラダイス(赤線)時代の
東陽一丁目(当時: 洲崎弁天町)を知る
とあるご婦人に出逢いました。
「彼女達が懸命に生きていたコト...
どうか忘れないで上げてね。
だから、みんなに、この場所を広めて欲しい。
今でも、若い方(=当時を知らない方)が
1日に1人は、お参りに来るのよ。
先日、カップルが手を合わせていて驚いたわよ。」
上に言わされているな...と
御衣黄は感じました。
と同時に...
一所懸命、彼女達と向き合い
心を込めて、ブログを書こう!
と決意致しました。
お読みいただいた方、ありがとうございます✨
昭和33年、赤線地帯が完全閉業...
この年に出生した方は、現在、65歳...
80代後半なら、鮮明に覚えていますよね。
確かに、伝承を受けるには、ギリギリですね。
先生が生前、仰っていた通り
著作するコトは、大事ですね。
いつでも、情報が手に取れますから...