9月1日のブログを一部改訂しました。

 

もう、9月ですね(^^;

どんどん、洲崎遊廓の発信を

していかないと...ね。

 

8月、さぼり過ぎなのよ!

 

・・・。ううう。

別件が...立て込んでいまして...

 

前回のブログで

 

 

洲崎遊廓物語 巻末参照
 

本金楼跡を後にし、向かった先は

大八幡楼跡です。
 

こちらが、大八幡楼と

推定される場所です。

 

深川洲崎遊廓は

根津遊郭が移転したことに由ります。

 

 

 

理由は...

 

廓から見上げる位置に

東京大学の統合移転と

第一高等学校の引っ越しが決定し

風紀上、好ましくない

という結論に至った。

(洲崎遊廓物語P217-P218 参照)

 

からである。

 

因みに

大八幡楼は

根津神社前の

日本医科大学の場所に

位置していました。

 

同楼の主人(岡村文吉)は

八幡楼グループを率いて

深川 洲崎遊廓仮開業一番乗りになりました。

 

表と裏に、数百の紅燈を置き

艶やかな雰囲気を作り出しました。

 

また、見世の北側(鬼門)に

天然ガスが噴き出していたのを発見。

数百尺、掘り下げましたが、見事に失敗

 

多額の借金を背負い、返せなくなり

妹婿に、大赤字を背負わせます。

 

婿は、風呂番の男をクビにします。

 

結果、その男の恨みを買い

本八幡楼は、放火され

全焼に終わるのだった...

(洲崎遊廓物語P215 参照)

 

鬼門...

まぁ〜、陰陽道を軽視するべきではない...

事例の一つですよね。

 

この商売...商売...

男の傲慢が過ぎれば、鬼もキレルでしょうね。

 

・・・。

 

お読みいただいた方、ありがとうございます✨

 

 

大八幡楼には、唯一、屋根の上に

大時計がありました。

 

漁師が時刻を知る、目安としていました。

(洲崎遊廓物語P216参照)